久しぶりにうつがやって来た。ここしばらく調子が良かったのに、ちょっとグズってきている。ん、あれ、よくよく考えてみると月初にもうつにやられていたなあ。うつが明けると、うつだったことをすぐに忘れてしまう。そうだ、ぼくは波乗りジョニー。うつによる気分の波をまだうまく乗りこなせずに、波に飲まれてしまう日々を送っている。
それでもだいぶ波を乗りこなせるようになってきた、と思う。波乗りの秘訣は、脱力。身体も頭もずーんと重くて、何もできない、やりたいことが何もないという状態を受け入れて、自己否定してしまわないように、ただ気の赴くままに暮らす。そのうち身体も軽くなって、やりたいことを見つけられるから。きっと大丈夫。薬だけはちゃんと飲もう。
去年の暮れに、3時とか4時とかに目が覚める時期があった。二度寝してもいいけれど、そうすると起きるのがつらくなるだけだから、いっそいま起きてしまってなんかやりたいことをやろうと思って、Netflixを見たりオンラインゲームをやったり読書したりして過ごしていた。そうして1日を過ごすと、「今日はもうすでにやりたいことを1つクリアしている」と、気持ちの余裕を持って過ごすことができた。
しばらくすると、3時とか4時とかに起きられなくなって、「ああ、しばらく調子が良かったのに、残念」と思っていたが、ググってみると、早朝覚醒や中途覚醒はうつ病の症状らしい。逆だったのだ。調子が悪いから3時とか4時とかに起きていたのだ。たしかに精神科の先生も心配していた。でも、ぼくにとっては逆だった。おかしい。
今日は3時に起きた。昨日からちょっと調子が良くない気がしていて、昨晩なんかはずいぶん久しぶりに「生きる意味とは何か」という問いが脳裏をよぎっていたので、合点合点。波が読めてきたぜ。
生きる意味とは何か。考えても意味がないことは分かっている。森山直太朗的に言えば、「なんにもないとこから、なんにもないとこへと、なんにもなかったかのように、めぐるいのちだから」(「生きてることが辛いなら」)。それは分かっている。でも、ついつい考えてしまうのだからしょうがない。
即物的に、「進撃の巨人があと数ヶ月で完結するから、それを見届けなきゃ」とか「もうすぐ新しい戦隊モノが始まるから、それを見届けたい」とか、そういう感じで生きる意味を見出すというか、騙し騙し生きながらえていく、という方法もあると思う。実際、そうやって乗り越えたことが何度もある。けれど、もっと切実で強固な「生きる意味」を求めてしまうときもある。
「そういうことを考えちゃうのって、暇だったり退屈だったりするとき。忙しくしていれば生きる意味なんて考えなくなるよ」などと言うひとがいるが、無理無理。うつで、身体も動かないし頭もあんまり動かない(生きる意味について考えるくらいには動くが)、やる気も出ないしやりたいこともないのに、忙しくなんてできないでしょう。せいぜいTwitterやYoutubeで気を紛らわせるくらいしかできない。そんな暮らしだってあるのだ。当然。
さて、結局、生きる意味とはなんなのか。この波はいつ終わるのか。はあ。