にげにげ日記

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(元)不登校ゲイの思索

できるだけ平穏な日々を過ごしたいから、話し合いを避けている【パートナーシップ】

付き合い始めて約3年になる同性のパートナーがいる。半年前から同棲をはじめて、最初は諍いもあったが、ここ最近はわりと平穏な日々が続いている。関係性が良好だからそうなっているというよりも、たぶん、お互いの「できるだけ平穏な日々を過ごしたい」という思いから、不満をちょっとずつ我慢したり、ちょっとずつ角を立てないようにしたりしてそうなっているのだと思う。

 

当たり前のことだけれど、同棲するっていうことは、お互いにとって帰る場所としての「家」を共にするということだ。家は、平穏であってほしい。諍いや暴力のある家になんて帰りたくない。そういう思いが、きっとお互いにある。だから、ケンカや言い争いが起こらないように気を遣いあっているという側面があるんだと思う(具体的に不満がアレコレあるというわけではない)

 

第7話 人を殺しました・・・夫婦決死の逃亡劇、涙の結末は!!

 

でも、そうすると何が起きるかというと、話し合いがしづらくなる。ぶつかりあうのが怖くなる。そうやって目先の諍いを回避した結果、家事の負担や気持ちの変化、将来のことなどについて話し合う機会をなかなか持てなくなって、関係性が悪化してしまうかもしれない、と思う。

 

いますぐにそのリスクがあるというよりも、我慢したり角を立てないようにしたりということに慣れきってしまって、身動きが取れなくなって、そうしてそのリスクに身を委ねることしかできなくなる未来が、いつか近いうちに来るんじゃないかという危惧や不安がある。

 

ドラマ「カルテット」の第7・8話で克明に描かれた、小さなすれ違いからできてしまった大きな溝のように。

 

第8話 最後で最大の嘘つきは誰だ!?激動の最終章、開幕!!

 

話し合うのって、ぶつかりあうのって、難しい。例えば、夕飯時に、こっちが「よし、ちょっと話し合いでも仕掛けてみるか」なんて画策して、試しにジャブを数発打ってみても、向こうはサラッと受け流して黙り込むか、話題を変えてくる*1。やっぱり話し合いをするには、時と場所を選ぶ必要があるみたい。あと、「ちょっと話したいんだけど」などと宣言するのがいいかもしれない。 

 

話し合いのやり方については、まだまだ試行錯誤が必要だ。身動きが取れなくなる前に、可能なかぎり試行錯誤したい。

 

 

余談。先日、パートナーとNetflixで「ゲームチェンジャー:スポーツ栄養学の真実」という映像作品を見た。肉食(の産業構造)が、健康や環境、倫理などの観点からどのような悪影響を及ぼしているのか、迫っている。「肉→動物性たんぱく質・スタミナ→男らしさ」みたいなジェンダー意識とも結びついているとのこと。

 

これを見て、菜食を少しずつ取り入れていこうとパートナーと話し合った。作品の感想とか社会問題についてとかだったらまだ話し合いやすいんだけどなあ。

 

 

 

 

 

*1:これは男性学の領域で何か分析できるようなことなのかもしれない。「有毒な男性性」とか言われるように。