にげにげ日記

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(元)不登校ゲイの思索

「ノンケになる方法があるとしたら」のアイロニー

「ノンケになる方法があるとしたら、あなたはどうする?」という思考実験がある。ゲイ同士の会話でもたびたび話題に挙がるし、バラエティ番組などでオネエタレントが話題にしているところも何度か見たことがある。
 
この思考実験は、当人がゲイというアイデンティティをどのように受容しているか、ノンケ社会とどのように付き合っているか、という様々な側面を浮かび上がらせる機能を持っている。その意味で、ノンケ社会に対するアイロニーを帯びている。武器としてのアイロニー
 
一方で、同時にこの思考実験は、ニーチェのいう永劫回帰のような思想を持てるかとマイノリティの側に迫る。マイノリティとしての葛藤や生きづらさを経験してもなお、あなたはマイノリティとして生きることを選択しますか、と。本来、マイノリティであることに理由なんてないはずだが、「もしもそれがあったとしたら/もしも選ぶことができたなら」というフィクションを挟むことによって、この永劫回帰のような思想を成り立たせている。
 
個人的には、このような思考実験は「マイノリティとしての経験」を「個人の経験」にすり替えて、社会の側の責任を免罪してしまっているように思えて、いまいち納得がいかない部分もあるのだが。第二波フェミニズムのスローガン「個人的なことは政治的なこと」を否定しているようにも読めるし。
 

『終わりに近づく世界であんたは』

さて、何年か前に所属していたゲイの読書サークルが母体となった、ゲイの文芸執筆サークル「桃鞜社」が、11月に開催される「文芸フリマ」にて同人誌を販売するらしい。
 
 
楽しみにしていたところ、「桃鞜社」の公式noteにてサークルメンバーの過去作品が公開された。これが予想以上におもしろくてビックリしている。まずはぜひ読んでみてほしい。
 
 
軽快な語り口。ディストピア的な世界に対して、カズヤとタツヤの豊かで奇妙な関係性。HIV/AIDS(あるいはCOVID-19)を想起させる展開。なによりおもしろいと思ったのは、舞台装置である「ノンケウィルス」の存在が投げかける「ノンケになる方法があるとしたら、あなたはどうする?」という問いを、主人公がサラッとやり過ごしているように見えるところ。この問いを受けて主人公がうじうじと葛藤するなど、分かりやすい説明はしない。

 

 ノンケウイルスにかかれば、泰造ともまた、本当に純粋な、男同士の友達になれるかなとも正直考えた。でも、それって俺が望むことなのかな。俺と泰造の、あったかもしれない未来は、そこじゃなかったはず。
 それよりなにより、カズヤ、俺はやっぱりあんたを残してあっち側には行けない。あんたとノンケ同士の友情を育むのもまっぴらごめん。あんたと俺はずっと、カズヤとタツヤでしょ。

 

人生やり直しスイッチはもう押さない

『終わりに近づく世界であんたは』では、「ノンケになる方法があるとしたら、あなたはどうする?」という問いに対して、上述したような”まともな”向き合い方はせず、「カズヤとタツヤの絆」をアンサーとして差し出すのみ。「え、それがアンサー?」と不満に思うひともいるだろう。ぼくもちょっと思った。もっとうじうじと葛藤してくれたほうが分かりやすいのに、と。でも、そもそもマイノリティであることに理由なんてないのだ。説明なんてできっこない。そういう居直りの姿勢が読み取れる。

 

また、こういう風にも読み取れる。このアンサーは、ゲイサークルで発表する作品としては最高のアンサーなのではないかと。つまり、そこに仲間がいるから、そこに友人がいるから、だからぼくはぼくのままでいたいのだ、と。それは例えば、ドラマ「カルテット」第9話で高橋一生が演じる家森諭高が言ったことと符号する。

 

人生やり直しスイッチがあっても、もう僕は押さないよ。だってみんなと出会ったから。

 

第9話 なりすました女、衝撃の告白!!カルテット涙の別れ

 

マイノリティとしての葛藤や生きづらさを抱えながら、それでも永劫回帰のような思想を持てるとしたら、 そこで育まれた絆や関係性によるものなのかもしれない。そんな風に思えた。

 

余談:映画『バイバイ、ヴァンプ!』はなにがマズかったのか

『終わりに近づく世界であんたは』の設定を反転させた作品として、映画『バイバイ、ヴァンプ!』が思い当たる。前者が「ウィルスに感染するとノンケになる話」で、後者が「ヴァンパイアに噛まれると同性愛者になる話」。対照的なようだが、しかし後者は、描写が差別的だとして批判の的になり、上映停止を求める署名運動も起こされた。

 

www.huffingtonpost.jp

 

wezz-y.com

 

何が問題だったかって、描いているものがまったく違うからだ。『終わりに近づく世界であんたは』が、ノンケ社会におけるゲイというマイノリティが生き抜く様を戯画的に描いている一方で、『バイバイ、ヴァンプ!』はノンケの同性愛嫌悪ホモフォビアをただ無思慮に炸裂させているだけだ。こうやって対比させると、後者がいかにひどいか分かる。