にげにげ日記

にげにげ日記

(元)不登校ゲイの思索

25歳の老後みたいな生活

まだ彼氏と同棲する前のこと。「週末は何しているの?」と聞かれると、5時頃に起きて、ふたりで近所の公園まで行って、散歩している犬を眺めたりお茶をしたりして、それから家でご飯を作ったりお菓子を食べたり映画を見たり読書したりして、22時頃には寝ているよ、と答えていた。そうすると、決まって「老後みたいだね」と言われた。

 

ぼくはかなりインドアなほうなので、旅行に行ったりアミューズメント施設で遊んだりクラブで踊ったり飲み屋で夜遅くまで飲んだりみたいなことはそんなにしたいと思わない(友達や恋人と一緒だったらそういうこともたまにはしてみたいとは思うけど)。本と映画と音楽と、それからこうやって思っていることを書けるメディアがあれば充分。セックスもそんなに必要ない。

 

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ここ最近、3時や4時に目が覚める。もうちょっと寝てもいいかな、とは思うが、二度寝したら起きるのがつらいだろうと判断して、いっそ活動を始めてしまう。読書をしたり、Netflixでドラマを見たり、朝ご飯を作ったりしている。そうして20時とか21時には眠くなって、コロッと寝る。なんと健康的な生活か、とぼくは思うのだけれど、老後みたいな生活だと思われたとしても仕方がないとも思う。田舎の祖父母は、いつもこれくらいの時間に起きて田んぼの手入れをしていたっけ。

 

見た目も相まってか、たまに「老成している」と言われることがあるが、ただ単に体力や気力がないだけだろうと思う。「老成」という言葉が持つ「成熟」的な意味合いは、ぼくにはない。ただ単に老いているように見えるだけだ。その証拠に、いまだに人間関係や自分がどう見られているかってことで散々悩んだり落ち込んだりしている。子どもの頃は、25歳ってもうずいぶん大人だと思っていたけれど、実際にその年齢になってみると、まだぜんぜん子どもだと思う。このギャップがときどき気に障って仕方がない。

 

 

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まだ年齢が若いほうだから、「まだ何でもできるね」「可能性に満ちているね」みたいなことを言われることがある。実際にそうなのかもしれないが、でも、それすらもプレッシャーに感じてしんどくなるときがある。期待されたくない。言っている本人にとっては他人事だし、別に大した意味もなく、雑談として言っているだけなのだろうけれど、そういう言葉が降り積もってますますしんどくなっていくような気がしてしまってしょうがない。

 

はやく中年になりたい。「このひとはもうこういう生き方しかできないのだから、とやかく言っても仕方がない」みたいな諦めをされたい。期待ではなく、諦め。そうして「あんたってホントしょうがないよね」みたいに諦め合う・罵り合う仲間がほしい。