今年の年末も田舎には帰らないつもりだ。もう何年も帰省していない。今年については「コロナがあるから」と言い訳ができるが、それ以前から何年も地元に足を踏み入れていないのだから、年末に帰省しない理由は別にある。両親との不仲だ。両親には高校生のときにカミングアウトをしたが、幼少期からのいろいろな積み重ねがあって、次第に関係が壊れていった。
ゲイであることを、普段はオープンにして暮らしているから、いまさら親族とどう接すればいいかもよく分からない。なのでもう家族や親族とは誰とも連絡を取っていない——妹を除いては。
妹とボクと、時々、家族・親族
母方の祖父母は今年、何度か入退院を繰り返しているようで、認知症や糖尿病が徐々に悪化してきていると、妹から聞いている。こういう話はすべて、妹と電話でお互いに近況報告をし合っているときにポロッと聞く。妹とは最低でも月に1回は電話をしている。昔は仲が悪かったが、高校生くらいから関係が改善し、いまでは頼り合える関係を築けていると思う。そのことは、本当に嬉しい。
祖父母には愛着があるし、会いたいと思わなくもないが、帰省すると何が起きるか、いろんなことを想像して、わずらわしいなと思い、やはり今年も断念する。後ろめたさや罪悪感は特に感じない。こういう人生を選択したのだ、と思っている。あるいは、生まれたときからこういう人生が運命づけられていたのだ、と。
今年の頭に、同い年のいとこの結婚式が執り行われた。妹から電話口でその話を聞いて、「来る?」と尋ねられたが、断った。後日、結婚式の席で、妹が「次はあなたの番ね」「いや、うちのはまだ先でしょう」などとひどいハラスメントを受けたことを聞かされた。行かなくてよかった、と思った。ぼくには帰る地元がないのだ、と思っているところがある。
血縁や地縁からパージされた同性カップルの暮らし
25歳になって、人生で初めて親元を離れて暮らしている。彼氏との同棲だ。それが始まってから、もう4ヶ月ほどが経った。彼氏もまた、実家とある程度の距離を置きたいみたいで、ぼくらはお互いに血縁や地縁から切り離されて生きているんだな、と実感する。少なくとも、ぼくらはお互いの家族に紹介し合うみたいなことはできていない。こんな状態で、もしもどちらかが病気や事故で入院したとき、そばにいられるのだろうか。それ以前に、そもそも緊急時に連絡をもらえるのだろうかと心配になる *1。考えてみれば、ほかにもいろいろと心配なことはあって、ときどき頭を抱える。
先日、とある友人カップルが大ゲンカをした。友人は、実家に帰ってしばらく考えた末、パートナーのもとに戻り、仲直りをした。彼らは異性愛のカップルで、家族ぐるみの付き合いをしており、職場の同僚にさえもお互いのことを紹介していた。異性カップルでもこんなことは珍しいだろう。友人は、大ゲンカの原因を家族に話し、パートナーの職場の同僚に相談し、そうして納得して仲直りをしたようだった。
その話を聞いて、カルチャー・ギャップというか、異性カップルはこんなにも環境に恵まれているのか、と愕然とした。パートナーとケンカをしたときに、事情を説明して実家に泊まらせてもらうことができて、相談に乗ってくれて、まあまあとなだめてくれるひともいて、仲を取り持ってくれるひともいる。血縁や地縁などのコミュニティやネットワークに接続することで得られるこれらの利益を享受できることが心底羨ましいと思った。
同性カップルが長続きしないのは、やっぱり社会のせいだ
もちろん異性カップルでも、血縁や地縁などのコミュニティやネットワークから離れ、孤立しているカップルは少なくないだろう。また、異性愛者じゃなくても、血縁や地縁の関係性に埋め込まれて暮らしているひともいる。それから、血縁や地縁などに埋め込まれることは、メリットばかりじゃないはずだ。田舎出身なので、それは多少分かる。
だけれど、それはさておき、同性カップルが長続きしないと言われる背景には、血縁や地縁だけに限らず、様々なコミュニティやネットワークに埋め込まれず、孤立してしまいやすくて、それで問題を2人だけで抱え込み、処理しきれないまま離散してしまうことがあるとは考えられないだろうか。ほかにもいろいろな要因はあるだろうが、ぼくはこの仮説にかなり納得している。
(とはいえ、この記事に書かれている調査によると、異性愛のカップルより男性同士のカップルのほうが長続きするという結果が出たらしくて、実は「同性カップルは長続きしない」というのも眉唾である。欧米での調査だから、アジアでは話が異なるかもしれないけど)
同性カップルの関係性について、「結婚や子育てなどのゴールがあれば、長続きするようになると思う」と言われているのを聞いたこともあるが、たぶん、重要なのは"ゴールがあること"ではない。そうじゃなくて、結婚や子育てを通して血縁や地縁を始めとしたコミュニティやネットワークを結び直したり、新たに築いていくことができる、ということが肝なのではないか。
個人単位での社会保障が必要
ここまで書いてきたことは、同性カップルだけの問題ではない。ひとりひとりに関わる問題のはず。シスジェンダー・ヘテロセクシュアル以外の性的マイノリティが、社会のコミュニティやネットワークからパージされてしまう。湯浅誠が言うような、「3つの溜め」がなくなって、貧困に陥ってしまう*2。
むろん、マイノリティであることを活かして社会生活を送ることができるとか、これまで書いてきたような損失を上回るほどの<コミュ力>や魅力などの能力を持っていて社会で活躍しているとか、そういうひとも世の中にはいるけれど、そうじゃないひとだっている。たくさんいる。
このようなことについては、また別の記事で改めて書きたい。
友だちづくりを目標に
そういうことで、とりあえず彼氏とはお互いに友だちづくりを目標に掲げてみている。ロングスパンでの目標だ。血縁や地縁以外にも、コミュニティやネットワークを築くことはできるんじゃないかと期待している。ル・ポールも言っていたが、ぼくらは家族を選んでいかなくてはならない。
いい出会いがあればいいなと思う。ステキな友だちができて、そのうちお互いに紹介できたらいい。そうしてネットワークが育っていったらもっといい。もちろんネットワークにはならなくても、お互いに紹介しなくても、大事な友だちがそれぞれにいれば、それはとてもいいことだと思う。そこらへんのすべては偶然性や誤配に身を委ねるしかないだろうが、この目標は掲げ続けたい。