にげにげ日記

にげにげ日記

(元)不登校ゲイの思索

「性的指向は(自分の意思で)変えられないのか」にマジレスします。

おさむです。

 

日本では、法律上の性別が同じ2人は結婚ができない。その違憲性を問う裁判が全国各地で行われていると聞いています。

 

www.marriageforall.jp

 

昨日(=8月5日)は、札幌地裁で、原告や証人への尋問が行われたらしいです。

 

news.yahoo.co.jp

 

原告や証人の証言は、どれも読んでいて身をつまされる思いです。一方で、裁判官からの質問に気になるものがありました。

 

尋問では、国側からの反対尋問はなかったが、Eさんやたかしさんに対して裁判官から同じ質問があった。それは「性的指向は(自分の意思で)変えられないのか」というものだ。

二人とも「自分の意思で変えられるものではなかった」という回答をしたが、この質問にはどのような意図があったのか。

弁護団の須田布美子弁護士は「その属性が『自分で選べるもの』なのか『選択の余地はないもの』なのかによって、差別に対する判断が厳しくなったり、ゆるくなったりと変わってきます。

裁判官が『性的指向は自分で選べるんじゃないの?』という見方でこの質問をしてきたのか、それとも人権問題として厳しく判断するために、あえて『セクシュアリティは自分で選べない』と原告に言わせようとして質問したのか、どういう意図だったのかは判決を見てみないとわかりません。しかし、この論点に関心があるということは伝わりました」

 

異性愛者こそが普通」という差別

性的指向は(自分の意思で)変えられないのか」と、原告のEさんやたかしさんに同じ質問があった。それに対してお二人は「自分の意思で変えられるものではなかった」と返答した。 

 

これを読んで、純粋に思いました。性的指向って、同性愛者だけじゃなくて異性愛者にもある両性愛者や全性愛者なども含めてすべてのひとにある)のに、それなのになぜマイノリティ(今回では同性愛者)だけが問われるのだろう、と。性的指向が自分の意思で変えられるのかどうか気になるんだったら、まずは自分に問うてみれば?

 

異性愛者こそが普通で、それ以外のセクシュアリティは”あえて”選んだものだ、だから変えられるものなんじゃないか、という見方をされているのだったら、これは差別です。

 

選べる/選べないは論点なのか

もちろん記事にあるように、先述したような差別というのではなくて、「人権問題として厳しく判断するために、あえて『セクシュアリティは自分で選べない』と原告に言わせようとして質問した」という意図があっての質問だった可能性もあります。

 

でも、それでも疑問が残ります。セクシュアリティを選べようが選べまいが、すべてのひとに人権はある。選べなかったから、責任がないから、かわいそうだから人権問題にしてあげるっていうのは、ものすごい上から目線でムカつく。

 

選んで同性愛者になったとしても、それが結婚する権利を認めない理由にはならないんじゃない?

 

セクシュアリティは変えられるの?

そもそも実際にセクシュアリティを変えられるのかどうか、ぼくには分かりません。多くのひとはEさんやたかしさんのように「自分の意思では変えられない」という実感があるのかもしれない(ぼくもあります)けれど、セクシュアリティを「選んだ」というひともいるし、ジェンダー・フルイド(流動的)なひともいる。

 

事実としてあるのは、ノンケがいつもそれを「問う側」で、LGBTがいつも「問われる側」である、ということ。その重さ。

 

いままで、ぼくたちゲイは繰り返し繰り返し問われつづけてきた。「なぜゲイになったのか」「いつからゲイだと気づきだしたのか」「親はどんな人なのか」……。問いかけてくる当人は、たんなる無邪気な好奇心から聞いているつもりなのだろう。だが、これらの質問は、自分の側が問われることはないとわかっているからこそできる質問である。自らの優位性にアグラをかいたうえでの問いである。逆に問われたら、異性愛者には返す答えがない。自らのセクシュアリティについて語る言葉がない。つまり何も考えていないのだ。(平野広朗『アンチ・ヘテロセクシズム』1994年、パンドラ、p.20)
 
だからこそ、言いたい。まずは自分に問うてみれば?
 
他方で、セクシュアリティを「変えられる、治療できる」という立場から、コンバージョン・セラピーなる治療(というか拷問)がこれまで行われてきた歴史があります。
 

www.huffingtonpost.jp

 

セクシュアリティは変えられるのかどうか、本当のところはわからない*1けれど、このような社会情勢や歴史を踏まえ、「自分の意思で変えられるものではない」と主張していく必要性があるのかもしれません。

 

おわりに——事件は裁判所(だけ)で起きてるんじゃない。

考えすぎかもしれませんが、こんな記事を書くと、こういうクソリプが飛んできそうだなと思ってしまいます。

 

「これは尋問なんだから、質問されるのは当たり前だろう」、と。

 

でも、違うんです。ぼくらは(という主語でいいのかわかんないけど)尋問の場だけじゃなくて、さまざまな場所で裁判官が問うたことと同じような含意を持つ言葉を突きつけられている。

 

「一時的な気の迷いなんじゃないの?」

「思春期特有のものでしょう」

「結婚すれば/異性とセックスしてみれば治るんでしょう」

「本当の恋愛をしらないだけでしょう」

 

こんな言説と日常的に接している。特に未成年の時期は。だから、原告のEさんやたかしさんがこの質問をされたときにどんな気持ちだっただろうかと思うと、ホントに身がつまされる。

 

裁判官の質問の意図はわかりません。いずれにしても、上記のような差別的な問いがなくなって、そしていつか差別が是正される日が来ることを願ってこの記事を締めます。

 

ボーン・ディス・ウェイ (スペシャル・エディション(2CD))

*1:とはいえ、少なくとも自由自在に変えられるとは思えない