よくある会話
「ぼく、ゲイなんですよ」
「へえ~。いつからそうなの?」「どうしてそう思うの?」
こういう会話は、実際、よくあります。
彼らなりに理解しようとしてくれているのでしょう。無視や聞かなかったフリをされるよりかは(これも実際に経験したことがある)マシかもしれません。
でも、聞かれた側としては、この質問はものすごく遺憾です。
あなた聞くひと、ぼく聞かれるひと
なぜかというと、その質問は異性愛者やシスジェンダー(性別違和のないひと)には向けられないからです。マイノリティだけが「いつから?」「どうして?」と聞かれます。
ぼくらのあり方が、不自然であるかのように。
実際、同性愛者を異性愛者に治療・矯正しようとしてきた歴史があります。
(矯正施設について描いた映画らしいです。近々見る予定)
異性愛者・シスジェンダーが自然で、同性愛者・トランスジェンダーは不自然。
そのような社会のスタンダードが、マジョリティとマイノリティの非対称な関係が透けて見えるのが、「いつから?」「どうして?」という問いかけなのです。
いままで、ぼくたちゲイは繰り返し繰り返し問われつづけてきた。「なぜゲイになったのか」「いつからゲイだと気づきだしたのか」「親はどんな人なのか」……。問いかけてくる当人は、たんなる無邪気な好奇心から聞いているつもりなのだろう。だが、これらの質問は、自分の側が問われることはないとわかっているからこそできる質問である。自らの優位性にアグラをかいたうえでの問いである。逆に問われたら、異性愛者には返す答えがない。自らのセクシュアリティについて語る言葉がない。つまり何も考えていないのだ。平野広朗『アンチ・ヘテロセクシズム』p.20
マジョリティであるということは、思考停止するということだと思います。マジョリティは、自分が異性愛者であることや、自分がシスジェンダーであることについて考える機会などほとんどないでしょう。
だから、問われても答えられない。問われることを想像することすらできない。
セクシュアリティは変わる
治療・矯正の歴史へのアンチテーゼとして、「同性愛者は生まれつき」「性的指向は変えられない」というものがあります。
しかし、実際のところ、セクシュアリティとは、一生を通して微動だにしないようなものであるというよりかは、可変的・流動的なものであるようです。
異性愛者があるときから同性愛者になったり、その逆もあり得るということです(変化しうるからといって、第三者がそれを矯正することはあってはなりません)。
でも、「いつから?」「どうして?」と聞かれるのは、やっぱり非異性愛者・非シスジェンダーだけなのです。不思議。「どうして異性愛者になったの?」「いつからシスジェンダーなの?」とは聞かれないのです。
知るかボケ!
ぼくの場合、不登校だった時期(小4~中3の6年間)のどこかでゲイであることを自覚しました。当時の記憶は非常におぼろげで、具体的な時期やきっかけは思い出せません。もしかしたら、具体的な時期やきっかけなんてなかったのかもしれません。
仮にそれがあったとして、覚えていたとしても、答えたくはありません。
理由は上述した通りで、マジョリティ/マイノリティの非対称な関係や、この社会のスタンダードというものの固定化に寄与したくないから。
「なぜ、あなたはゲイになったのか」と訊かれることがよくあるが、「ぼくはそういう質問にはいっさい答えない」と応ずることにしている。異性愛者はゲイに問いかける前に、自らに問い直すべきことがあるはずだ。――なぜ、自分は異性愛を生きているのか、異性に何を求めているのか、異性とどのような関係をもとうとしているのか。なぜ、異性愛者は同性愛者を差別するのか――と
平野広朗『アンチ・ヘテロセクシズム』p.36
だから、もし「いつから?」「どうして?」と聞かれたら、こう答えます。
「知るかボケ!」