にげにげ日記

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(元)不登校ゲイの思索

できない側から見る、Twitterで「出会う」方法

おさむです。

 

先日、こちらの記事を読んで深く共感しました。

 

t.co

 

ぼくもTwitterやブログで社会批判も政治批判も個人の主張への批判もガンガンしているし、そういう意味で「近寄りがたい」と思われているんだろうなあ、と。たぶんリラコさん(先の記事の著者)よりずっとひどいよね。

 

nigenige110.hatenablog.jp

 

(こちらの記事、投稿してからもうすぐ半年らしいです)

 

Twitterやブログだと、テキスト情報しかないから過激なひとだと映りやすいんだろう。でも実際に会ってみると、声音や雰囲気などいろんな情報もあるからもっとマイルドに映るんじゃないかと思う*1

 

アカウントの使い分けと「あざとさ」

先の記事では、それでは発信用のアカウントと出会い用のアカウント(「ホモ垢」)とを分けて運用したほうがいいんじゃないか、と考えたと書いてある。

 

なるほど、その手があったかと思う反面、それをやれるほどの器用さがぼくにはないし、またそれほど「あざとく」運用していける自信もない。顔写真を出して、身長と体重と年齢の数値を載っけて、作った料理や遊んだ友人との写真を投稿するだけのアカウントなんて、なんか想像しただけで身体がムズムズしてきてたまらないのだ(もちろんそういうことをやっているひとを批判する意図はまったくない。むしろ羨ましいくらい)

 

超効率的・超合理的な出会いの場として利用されるTwitter。そのマーケットに参入するのはものすごくハードルが高く感じる。なんか就活してるみたいだ。ノイジーなものを排除して、「出会い」に有利になるように生活が、人生が合理化させられていくような。そういう感じを受ける。資本主義って感じ。

 

それだったらもういっそ出会い系アプリで友達を探すほうがずっといい*2Twitterは言論空間だと割り切って、出会いの場としての機能はスッパリ切ってしまう。そういうやり方もあるだろう。

 

できない側から見る、Twitterで「出会う」方法

そうやって考えてみると、みなさんはもうお分かりだろうが、Twitterで「出会う」ために行うべきツイートや、控えるべき行動というものが分かってくる。

 

先の記事と重複する部分があるが、ぼくの体験をもとにして改めてまとめてみる(先に断っておくが、ぼくは「わかっちゃいるけどやめられない」)

 

  • 政治系・社会批判のツイートをしない(過激なひとだと思われるため)
  • 食べたものや作った料理などの画像は積極的に貼る(美味しそうに食事するひとはいいひと理論)
  • 友達と遊んだら集合写真を貼る(人気者だと思われたら勝ち。欲望の三角形)
  • 新しい洋服やトレーニング中の写真など、自分の外見が分かる画像を投稿する(そして知らない誰かに保存される、たぶん)

 

一言でいえば、付き合いやすそうな・接しやすそうなひとを演出しろってことかしら。

 

まあ、こういう記事を書くこと自体がある種の社会批判であって、こうやって近寄り難さを増幅させているということもわかってるんだけどね…。書かずにはいられない。

 

スイスイスーダララッタスラスラスイスイスイ〜

 

スーダラ節

*1:ぼくとしては過激でもマイルドでもどっちでもいいんだけど

*2:ほとんどの出会い系アプリには「発信」の機能がないし、言論空間としては機能していないから割り切れるということ