東京都足立区の白石正輝区議による、同性愛を認めたら足立区が滅んでしまうという趣旨の差別発言が話題となっている。杉田水脈議員が『新潮45』に寄稿した記事と同様、ひとを生産性でジャッジして支援の枠組みや社会から排除するようなものであり、決して許してはならない。さらに、これが政治家という立場にある人物が区議会という場で行った発言だというから大問題だ。
が、正直、ぼくはこの問題にあまり興味を持てないでいる。もちろんこれは大変な問題であり、批判すべきことだし、それらに対する批判の声のほとんどには同意しているのだが、「ああ、またか」という感覚がどうしても拭えない。またこんなことが繰り返されるのか、と。
「同性愛を認めたら人類が滅ぶ」と言ったのは、高校の体育教師だった。ぼくが高校生のとき、全校生徒に向けてカミングアウトしたあと、その体育教師に校庭へ呼び出されて、そう言われた。意味がわからなかった。ぼくがカミングアウトをして高校生活を送ることと、人類滅亡の話がどう関係するのか。セカイ系のアニメかなんか?
もし人類滅亡や足立区滅亡の危機が迫っているのだとしたら大変なこと*1だし、現実問題として日本の少子化は深刻である。だけれど、思うに、少子化問題の何が大変かって、このように「お前らが自分勝手に生きているから少子化になるんだ」みたいな認識を政治家がいつまでも持っていて、まともな政策が一向に出てこないことではないか*2。
彼らの発言には何も目新しさを感じない*3。知識や意識をアップデートせず、もうとっくに賞味期限切れになった(はずの)偏見や思い込みをいつまでも抱え込んでいる。この期に及んで「まさか自民党の議員がこんな発言をするとは」なんて驚いているひとはいないだろう。杉田水脈議員はあの記事の内容について公の場で謝罪していないし、最近またひどい発言をしているし。
「ああ、またか」と冷めた目で見てしまっている。それほどにこの社会のあちこちには差別があって、それに慣れさせられてしまっている。他方で、この件についてぼくが興味を持ったのは、区議の発言よりも、それを批判する声の多さとそのバラエティだった。ただ単にぼくのタイムラインに偏りがあるだけかもしれないが、いろんなひとがいろんな形で批判している様子を見て、ちょっとだけ希望を持てた。ぼくもなんらかの形でこの問題に言及したいと思った。
「同性愛を認めたら人類が滅ぶ」と体育教師に言われたとき、当時高校生だったぼくはどんな顔をしていただろうか。もうすっかり覚えていない。でも、思い出さなきゃいけない気がしている。あのときの顔を忘れてしまいたくない。