にげにげ日記

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(元)不登校ゲイの思索

東京レインボープライド2021が批判される4つの理由

今月末に開催される東京レインボープライド2021が様々な点で批判されている。大事なことだと思うので、批判されているポイントをまとめて備忘録にしておきたい。

 

 

批判ポイント①拝金主義

企業向けの協賛金が最大で800万円と設定されている。去年に引き続き、今年もオンライン開催でそんなにお金がかからないはずなのに、何のためにこんなにお金を集めようとしているのか謎だ。収支報告を待ちたい。

 

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それを抜きにしても、ここ数年の東京レインボープライドは拝金主義の色が強い。会場に行っても企業ブースが中心になっていて、レインボーの試供品やチラシを山のようにもらってもちっとも嬉しくない。また、ブースの出展料がバカ高いから、手弁当で活動している当事者の活動家や団体などは端っこのほうに追いやられてしまっている。

 

お金をたくさん集めたキラキラ大規模なイベントが楽しいというひともいるのかもしれないけれど、ぼくはそうは思わない。2014年頃に初めて参加したときの、こじんまりとした東京レインボープライドが楽しかったし居心地も良かった。

 

nigenige110.hatenablog.jp

 

批判ポイント②当事者軽視

上述した拝金主義と併せて、LGBTQコミュニティのために活動しているひとや団体を軽視するような姿勢が露骨に表れたのが、東京レインボープライド2021のメインイベント「#おうちでプライド2021」のゲストが非当事者だらけだという問題。これはTwitter上で大いに批判されている。

 

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(どうでもいいけど、タイトルの「お」と「う」だけフォントサイズ小さくないか……?)

 

テレビやネットでよく見る有名なひとがLGBTQについてポジティブなことを言ってくれるのは、エンパワーメントされるかもしれないけれど、ちょっとあまりにもバランスが悪すぎるように思う*1。ゲイは数人いるが、それ以外のオープンリーなLGBTQ当事者はいない。

 

以前、ぼくもちょっとだけ関わっていたので分かるのだが、当事者団体や活動家の方々はほぼ手弁当で、少ない謝金やカンパでやりくりしながらLGBTQコミュニティのために活動しているところばかりだ(もちろんなかには拝金主義的なところもあるけれど)。そういう人々や団体を軽視するような結果になってしまってはいないか。

 

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「#おうちでプライド」とはべつに、専門家を呼んで「LGBTQの今を知る15選」というプログラムをYoutubeで実施するようだが、これをメインイベントにすればいいのに。お金にならないからダメなんだろうか。どれも興味深いトピックだし、内容次第ではとてもすばらしいプログラムになると思って、楽しみにしている。

 

せっかく興味深い取り組みなのだから、目次だけの淡白な画像じゃなくて、ひとつひとつのトピック取り上げた画像を作ってぜひ告知していただきたい。

 

批判ポイント③政治的な態度や振る舞い

過去の東京レインボープライドで「政治的なプラカードは掲げないでください」とスタッフに注意されたことがあるそうだ。地方のレインボープライドでも同様なことが起きているようだし、「政治色のないレインボープライド」が開催され、その政治性を批判する団体もあった。

 

spjhasnopride.org

 

そのような状況を「レインボープライドの脱政治化」と称されることがあるが、実際には、このような態度や振る舞い自体が非常に政治的なものであると思う。

 

例えば、いま盛り上がっている同性婚の議論について、賛成でも反対でもないという立場が政治的に中立中庸であると考えているひとがいるとする。しかし実際には、制度がないことによって不利益を被っているひとや差別を受けているひとがいる。そんななかで、そのような不利益や差別を無くそうとしない立場が、はたして中立中庸と言えるだろうか。ぼくはそうは思わない。不利益や差別の存在を認めておきながら、それに反対しない・無くそうとしないという立場もまた政治的なのである。決して中立中庸などではないし、脱政治化でもない。

 

だから、党派性やイデオロギー性をできるだけ漂白脱色して、まるで中立中庸なイベントであるかのように見せようとする東京レインボープライドは、その姿勢や振る舞いもまたきわめて政治的なのであって、そのことは批判されて然るべきだと思う。

 

批判ポイント④声をあげる世界を変える?

一方で、東京レインボープライド2021は、今年のテーマ「声をあげる世界を変える」を決定した経緯として、次のように述べている。

 

これまで東京レインボープライドでは、当事者を取り巻く社会が少しでもよい方向へ変わるように、LGBTQの理解を深め、親しみやすい場所になるよう、そして何よりも”誰もが楽しい”と感じるイベントになるようにみんなで試行錯誤をしてきました。しかし、「LGBTQ」「多様性」という言葉は浸透しつつも、誰もが生きやすい社会への実現には、”楽しさ”を追求するだけでは、変えられないものがあることが分かりました。

2020年、私たちの日常は大きく変わりました。誰も経験をしたことがない事態に向き合い、考え、自制し、そして新しいルールに適応しようと努力したと思います。 今回のテーマにもある”ルール”というのは、憲法や法律といった大きな枠組みのものから、日常生活の中で不自由に感じている学校や職場、地域の小さなルールまで様々なものがあります。ルールが変わることで、LGBTQだけではなく、すべての人が生きやすい世界に変わっていくことが、あるべき未来の姿だと思い、今回このテーマに決定いたしました。

 

trp2021.trparchives.com

 

一見すると、これまでの「お祭り」的なイベントを見直して、政治的なテーマやトピックについて真っ向から取り組もうとしているように読める。ぼくはこの文章を読んで、とても期待していた。しかし、開催日が近づいてイベントの詳細が公開されるにつけ、その期待は裏切られ続けている。

 

なかでもガッカリしたのは、以下のTwitterに投稿された画像だ。

 

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声をあげる。歴史を紐解けば、さまざまなマイノリティたちがひどい差別や抑圧を受けながらもそれを実践し、少しずつ権利を獲得してきた。そのような歴史的事実を踏まえた上でこの画像を見ると、なんともいえない脱力感を覚える。

 

もちろんSNSは、いまや社会的なムーブメントを起こしうるプラットフォームになっていて、「誰かの投稿に”いいね”を押すこと」による社会的な意味合いも過小評価はできないだろう。だけれど、東京レインボープライド2021のテーマである「声をあげる」の定義って、そんなことでいいの……?

 

おわりに

東京レインボープライドは、いまの体制での開催がはじまって今年で10周年を迎えるらしい。それ以前にも開催されていたのを踏まえると、歴史はもっと長くなる。このようなイベントのおかげで社会が変わった面もあるだろう一方で、さまざまな批判もなされてきたのも事実だ。

 

この記事では、そのような批判を網羅できているわけではない。ぼく自身もすべてを把握はできていないだろう。とりあえず今回は、東京レインボープライド2021が出している情報を中心に批判ポイントをまとめてみた。この批判が無為にならないことを願う。

*1:差別発言をしているひとがゲストのなかにいるとの批判もあるが、ぼくのリサーチ不足で確認が取れなかったので今回は割愛させていただく。