おさむです。
今年、職場でハラスメントを何度か受けて、それから精神科に通うようになりました。通い始めて約半年が経ったので、これまでの経緯を振り返ってみようと思います。
病院探しに苦労
ハラスメントを受けて鬱っぽくなって、病院に行こうと決心しました(後述しますが、精神科に通うのってハードル高いですよね)。
最初は、家の近くにあるから通いやすいだろうということで、とある病院に行ってみました。が、先生があんまり話を聞いてくれなかったことや、「トラウマの治療がしたい」という要望を一蹴されてしまったことから、不信感が募っていきました。
その頃、精神疾患や発達障害のあるLGBT当事者の集まりがあると知り、参加してみました。現状を話すと、「この病院はLGBTに理解があるよ」「ここは先生がゲイだから、安心して話せるよ」「ここはトラウマ治療に力を入れてるよ」と、いくつかおすすめの病院を紹介してもらえました。
教えてもらった病院のなかから1つ選んで、予約をとって、受診しました。それからいままで通い続けています(その病院では、受付カウンターにレインボーフラッグがあるし、受診者にちらほらゲイっぽいひとを見ます)。
どんなことをしているのか
いまの病院では、しっかり話を聞いてもらって、「投薬治療をしながらトラウマの治療をゆっくりやっていく」という、ぼくの要望にかなり近いかたちで診療を行ってもらっています。
両親との関係や、不登校だったこと、高校生のときにカミングアウトして差別されたこと、大学生のときにハラスメントを受けたこと、卒業後もまたハラスメントを受けたことなど、いろんな出来事が重なって、「複雑性PTSD」になっているようです。
複雑性PTSDとは、1つの大きな出来事によってPTSDになるのとは違って、1つ1つは大きくなくても、複数の出来事が重なってPTSDに近い状態になることを指します。
そのような症状に対して、認知行動療法やスキーマ療法のような治療を行っています。
簡単に言うと、自分の無意識的な考えの癖を発見して、それをメタ認知できるようになろうという感じの治療です。例えば、友人とすれ違ったときに挨拶してもらえなかったとして、もしかしたらボーッとしていただけだという可能性もあるのに、「ああ、嫌われているんだ…」と断定的に考えてしまう、その癖を見つけるのです。
まわりの反応
精神科に通っていることは、恋人や友達、妹などにも話しています。
そんなに大きなリアクションはなかったです。「へー」「そうなんだ」くらいの感じ。
たぶん、いまの時代、鬱やトラウマってすごく身近な問題で、まわりに鬱病を患っているひとはそれなりにいるし、珍しくないんだと思います。
とはいえ、やっぱり初対面のひとにパッと言えるかと問われれば、ビミョーなところです。まだやっぱりスティグマがあるんだと思います。「精神科に通っていると言ったら、絶交される」「恋人と別れさせられる」などとは思いませんが、「ちょっと距離を取られるかも」「フツウのひとじゃないと思われるかも」とは考えてしまいます。
なんなんでしょうね。精神科に通う側はなにも悪いことしていないのに、白い目で見られるって…。
これからのこと
投薬治療をしつつ、トラウマの治療も進めていきたいと思っています。
職業訓練もあってなかなか時間を取れずにいますが、ぼくの人生においてそれなりに大事なことだと思うので、しっかり治療に取り組んでいきたいです。
いま、治療をしていくなかで気になっているのは、「恥」という感情についてです。
ぼくは、複雑性PTSDの症状として、「恥」の感情がものすごく苦手だということに気づきました。なにか「羞恥を覚える」「恥辱を受けた」と思うことがあると、もうそこにはいられなくなってしまいます。
例えばハラスメントを受けた際には、「恥辱を受けた自分」というイメージが強く強く付与されてしまって、職場でどんな風に振る舞えばよいのか分からない、自尊心を保てないという状態になってしまうのです。
この「恥」の感情については、これからの治療でも継続的に取り上げていくテーマになるのではないかとイメージしています。
また進展があれば、ブログに書きたいと思います。