にげにげ日記

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(元)不登校ゲイの思索

世界が壊れた感覚

おさむです。

 

精神科に通いながらトラウマの治療を進めています。

 

nigenige110.hatenablog.jp

 

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治療を進めているうちに段々ハッキリしてきたことは、ぼくが「世界が壊れた感覚」を持ちながら過ごしているということ。

 

これはぼくだけに限らず、何らかのトラウマティックな体験をしたひとに共通することらしいです。

 

世界が壊れた感覚とは

ぼくらはこの世界をある程度信頼して過ごしています。(積極的に/消極的に)信頼しておかないと、満員電車に乗ることも、知らない誰かのつくった食べ物を食べることも不可能です。

 

そんなある日、その「信頼」を裏切られるような出来事に巻き込まれる。「信頼」は(いとも簡単に)瓦解し、それがトラウマとして残ってしまうことがある。

 

すると、この世界が壊れ始めます。世界の不条理さ、不合理さが露見して、まともに生活を送れなくなってしまう。自分の安全圏を守ることだけで精一杯になってしまう。これが「世界が壊れた感覚」です。

 

ゲームのバグ

この感覚、ぼくが大学生のときに性暴力を受けた際には、「特定のプレイヤーだけがバグるゲームみたいだ」と言語化しました。

 

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すべてのプレイヤーが平等にバグるのではなくて、「特定のプレイヤーだけが」「不平等に被る」というところがミソです。

 

あるプレイヤーにとっては、このゲームは平等にできていて、努力に対応した報いを受けられる、いかにも信頼できるゲームである。しかし、別のあるプレイヤーにとっては、不平等で不条理で、信頼もクソもないゲームである。

 

こんな認識をしていました。

 

そもそも世界は不条理である

でもね、考えてみれば、すべてのプレイヤーにとって根本的に不条理で不合理なのが、この世界です。

 

偶然産み落とされて、運命に翻弄されつづけ、そして理不尽な評価を受けつづけ、そしてあと少しで死んでしまうこの人生の不条理は、よく考えると不幸そのものだ(中島義道『働くことがイヤな人のための本』2001年、日本経済新聞社、p.188)

 

働くことがイヤな人のための本―仕事とは何だろうか

 

働くことがイヤな人のための本―仕事とは何だろうか

働くことがイヤな人のための本―仕事とは何だろうか

 

 

この社会の制度や文化における不条理や不合理というものが一方であって(それは是正されるべき)、他方では、この世界が(人生というものが)そもそも内包している不条理や不合理というものがある。

 

つまり、みんなで共有している「平等で、信頼できるこの社会」というイリュージョンが解けて、生身の<世界>を直視してしまうのが、「世界が壊れた感覚」ということであって、そもそも世界は壊れている(とイリュージョンが解けたひとは思ってしまう)

 

私たちは、生まれつき各人に与えられたものは偶然だという不条理を悲しくなるほど知っているにもかかわらず、そのことには目をつぶって、それ以外はできるだけ偶然を排してゆくふりをする。そうすると、ますます生まれつき才能や能力の勝っている人は正当化され、そうでない人はジダンダを踏んでも相手にされなくなる(同上、p.91)

 

壊れた世界で生きていく

こんな壊れた世界で生きていくにはどうすればいいんでしょう。

 

努力は必ずしも実らないし、明日死ぬかもしれないし、生まれてきた意味なんて無いし、それなりに長生きしたとしてもせいぜい数十年程度。絶対的なことは何もない。

 

こんなことを書くと青臭さが漂ってきますけれど、でも、いまのぼくにとってこれらはクリティカルな問いなんです。シニカルな人生観というのではなくて、ただ正直にこの事実と向き合いたい。向き合わなければやっていけない。

 

壊れた世界で生きていく。

不条理と不合理をこの身に受けながら、サバイブしていく。

 

結論はまだありません。また何か進捗があればブログ書きます。