にげにげ日記

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(元)不登校ゲイの思索

2021年の東京レインボープライドはしっかり政治的?パレード初参加の思い出と問題意識

季節外れの話題だと思われるかもしれないけれど、今年の東京レインボープライドは4月24・25日開催で、残り80日。わりともうすぐ。公式サイトを見ると、メインビジュアルの一般公募をしたり協賛を募ったりと、イベント開催に向けて動いている様子が伺える。

 

tokyorainbowpride.com

 

去年はオンライン開催に変更となってしまったが、この情勢では、今年もオンライン中心のイベントにならざるを得ないだろう。ちなみに、今年は「東京レインボープライド」として活動を始めてから10周年にあたるそうで、アニバーサリー的なコンテンツも練られているんじゃないかと思っている。

 

初めてのTRP参加は高校生のときだった

思えば、TRPに初めて参加したのは、たしか2013年か2014年で、いまみたいに大規模なイベントではなかった。それでもあんな規模のイベントに参加するのは初めてだったので、当時高校生だったぼくは心を踊らせていた。あんなにもたくさんの当事者やアライと呼ばれるひとたちに囲まれて一緒に車道を歩くというのは、ものすごく衝撃的な体験で、ものすごくエンパワーメントされた。車道沿いに建っているビルの最上階から、こちらに手を振ってくれるひとがいて、みんなで喜んで手を振り返したのを覚えている。

 

その後、進学を機に上京してきて、毎年TRPに参加するようになった。同じ頃、渋谷区で同性パートナーシップ制度が制定されて、電通博報堂が「LGBT市場」というものがあると喧伝するようになり、いわゆる「LGBTブーム」がやって来ていた。当時のぼくは、LGBTQに関する歴史や運動についてよく知らなかったので(いまも大して知らないけれど)、「突然、なにが起きたんだ?!」と困惑した。

 

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 LGBTブームに困惑する

いろいろ本を読んだり講演会に参加してみたりして勉強したが、やっぱりあの困惑は拭えないままで、いまも困惑しているままかもしれない。そうこうしているうちにパレードは年々規模が大きくなっていき、その一方で、ぼくはLGBTQ運動やTRPに「ノレなさ」を感じるようになっていった。

 

高校生の頃、最初に参加したときの感動やエンパワーメントされる感じは、もう得られなくなってしまった。山のように出展している企業のブースで試供品やキレイなチラシをもらっても嬉しくないし、長々とパレードを歩くのも疲れるし、「Happy Pride!」って掛け声みたいなのも嫌いだし、ひとが多すぎて移動するのも大変。ここに居場所はない、という感覚さえあった。

 

どうしてこんなふうに思っちゃうんだろう、と何度も考えた。そもそもお祭りが苦手なせいかもしれない。高校生のときは新鮮味があったけれど、何度も参加するうちにそれが自然となくなってしまったのかもしれない。あるいはイベントの大規模化・商業主義化(・脱政治化)によるものなのかもしれない。

 

プライドイベントの大規模化・商業主義化・脱政治化

いわゆる「LGBTブーム」や、それに乗じたビジネスやアドボカシーについては様々な批判がある。初めて同性パートナーシップ制度を制定した渋谷区は、同じ頃、宮下公園を商業施設にするために、そこに住んでいたホームレス状態のひとたちを強制排除した。人権意識からではなく、イメージ戦略としての先の制度だったのではないか*1。あるいは、「LGBT市場」といわれるときに想定される”可処分所得の多いLGBT当事者”というのがゲイ男性に偏っており、そのネーミングは間違いなのではないか、LGBTコミュニティ内部の序列化を推進してしまうのではないか、などなど。

 

そして、いわゆる「LGBTブーム」によって大規模化・商業主義化のブーストがかかった(ようにぼくには見える)TRPもまた様々な問題を抱えていて*2、それを批判しているひとたちもいる。

 

ここ数年の動きとしては、「LGBTの政治利用をやめろ!」などというよくわからない意見が出たり、とある地域で「政治色のないパレード」が開催されたり*3、また別の地域では「政治的なプラカードを禁止するパレード」が開催されたりと、脱政治化の動きも見られる。

 

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あとは、過去のTRPのタブロイド紙などを見直すと、カップリング主義というか、同性婚や同性パートナーシップ制度関連の動きばかりが取り沙汰されたり、「愛」を前面に押し出したりということも問題だなと思う*4。Aceのひとたちが不可視化されているようにも見えるし、LGBTQ運動のアジェンダ同性婚や同性パートナーシップ制度だけじゃないはずなのに。

 

nigenige110.hatenablog.jp

 

おわりに——今年のテーマにちょっと期待

これらの問題意識を抱えて、困惑したまま、ぼくは今年もTRPに参加するんだと思う。ちなみに今年のTRPのテーマは、「声をあげる。世界を変える。Our Voices,Our Rights」だそうで、このテーマ決定の背景として次のように書かれている。

 

これまで東京レインボープライドでは、当事者を取り巻く社会が少しでもよい方向へ変わるように、LGBTQの理解を深め、親しみやすい場所になるよう、そして何よりも”誰もが楽しい”と感じるイベントになるようにみんなで試行錯誤をしてきました。しかし、「LGBTQ」「多様性」という言葉は浸透しつつも、誰もが生きやすい社会への実現には、”楽しさ”を追求するだけでは、変えられないものがあることが分かりました。

 

2020年、私たちの日常は大きく変わりました。誰も経験をしたことがない事態に向き合い、考え、自制し、そして新しいルールに適応しようと努力したと思います。
今回のテーマにもある”ルール”というのは、憲法や法律といった大きな枠組みのものから、日常生活の中で不自由に感じている学校や職場、地域の小さなルールまで様々なものがあります。ルールが変わることで、LGBTQだけではなく、すべての人が生きやすい世界に変わっていくことが、あるべき未来の姿だと思い、今回このテーマに決定いたしました。

 

tokyorainbowpride.com

 

これを読むと、今年は大きな方針転換があるのかもしれない、と期待せざるを得ない。パレードの歴史を紐解くといろいろあって、政治的なデモンストレーションとしてのパレードと、楽しいお祭りとしてのパレードとの間で揺れ動いているようにも思える*5。今年はどんなイベントになるだろうか。ちょっと期待している。

*1:渋谷区の動きから始まって、いまでは全国で60以上の自治体がこのような制度を制定しており、その恩恵を受けているひとも少なくないだろうから、全否定はできないのかもしれないけれど。

*2:川坂和義「「非政治化」されるプライド・パレード——LGBTの権利へのバックラッシュ」(『世界 第913号』所収)などで明らかにされている。

*3:畑野とまと「プライドという言葉を知らずに「プライドフラッグ」を掲げる愚かな守銭奴達」(『Over vol.2』所収)に詳述。

*4:このような大規模化・商業主義化・脱政治化・同性婚ばかりを取り上げるなどに反対する動きとして、欧米では「ゲイ・シェイム」という運動があるそう。

*5:堀川修平「日本のセクシュアル・マイノリティ運動の変遷からみる運動の今日的課題——デモとしての「パレード」から祭りとしての「パレード」へ」(『女性学 Vol.23』所収)に詳述。