ポジティブ思考が大事らしい。この世で起きるすべての出来事に対して、良い/悪いの判断をしているのは人間なのであって、それじゃあ良い側面を意識的に見るようにしたらいろいろうまくいくんじゃね、っていうのがポジティブ思考の概要っていうことであっているかしら。
その具体例として、コップに半分入った水を見て「お、まだ半分も残っている!」と思えるか、それとも「うわ!あと半分しか残っていない」と思えるかという話をよく見聞きする。はあ、そうですか。
ポジティブ思考が見えなくするもの
「ポジティブ思考が大事です!」というときに不可視化されるのは、この世にはポジティブになりやすいひととなりにくいひとがいて、その背景には環境やリソースの不平等な再配分があるんじゃないかってこと。要するに、例えば、LGBT差別が存在する社会で、LGBT当事者といわれるようなひとがポジティブになりにくいのは当然(もちろんLGBT当事者にもポジティブなひとはいるけれど)。
そう考えると、ポジティブ思考云々は、社会の問題を個人の意識の問題にすり替えているように見えてしまう。だから、コップに半分入った水を渡されたときにぼくらがやるべきことは、「ふざけんな!もっと水をよこせ!緊縮やめろ!」と怒鳴ることなんじゃないかと思う(必ずしも怒鳴る必要はないかもしらんけど)。
ネガティブの殻に自閉したい
それじゃあ環境を整備してリソースを適切に配分して、みんながポジティブになれる土壌をつくったとして、そのうえで「ポジティブ思考が大事です!」と言われたとしたらどうだろうか。たぶん、ぼくはそれにも反発するだろうと思う。ネガティブな自分を否定しないでくれって主張すると思う。あとから生まれたひとからは「なんであんな意固地になってんの」と嗤われるかもしれないけれど。
いずれにしても、そのような平等な社会が実現していないいまの社会で、ネガティブであることは何も悪いことじゃないと思う。少なくとも個人の問題ではない。「これは社会のせいなんだ」と主張しながらネガティブの殻に自閉したい。ポジティブ思考のくそったれ!あっちいけ!
なんで自己啓発って変な例え話ばっかりしてくんの
話が変わるけれど、自己啓発系のアレで、チャンスを逃すなってことが言いたいんだと思うんだが、「チャンスの神様は前髪しかない」ってお話がある。その神様が通り過ぎたあとで掴もうとしても、後ろ髪はないから掴めないよ、ってやつ。
ギリシャ神話にモデルがいるらしいが、そもそもなんで髪の毛を掴もうとしているのか分からない。痛いじゃん、髪掴まれたら。腕とか肩とかを掴めばよくないか。自己啓発系のアレってこういう変な例え話が多くて、そっちに気を取られてしまって本題がなかなか入ってこないよ。