先日、クラウドファンディング「書籍『LGBTヒストリーブック日本運動史編(仮)』を制作発行したい!」が目標金額を達成していました。書籍の概要や制作発行の背景については、下記リンクをご参照ください。
このクラファンが開始された頃から、TwitterなどのSNS上で疑問や懸念を表明したり、友人たちと話題にしたりしていたのですが、特にそれらの疑問や懸念が解消されることがないまま終了したなあ、という印象です。この記事では、ひとまずぼくが抱いている疑問点・懸念点をいくつか挙げて、備忘録的にまとめておきたいと思います。
今後、書籍を制作していく過程で、それらの疑問・懸念が解消される可能性はもちろんあるでしょう。そのときは、「あら、杞憂だったね」と笑ってやってください。というか、「お前みたいな若造の考えてることなんてとっくに議論し尽しているんだよ、バーカ」みたいな感じで制作が進み、完成してくれたらいいなあ……。
さて、いろいろな疑問・懸念があるかと思いますが、とりあえず以下に3点ほど挙げてみたいと思います。
疑問・懸念①どうして編著者がシスゲイ2人なのか?
クラファン開始時に、最初に思ったことです。お二人(山縣真矢さんと後藤純一さん)ともLGBTQの社会運動に長く携われている方だというのは分かりますし、お二人のこれまでのご経験やお考えなどについて知りたい気持ちはありますが、それにしても『LGBTヒストリーブック』の編著者がシスジェンダーのゲイ2人というのは、偏りすぎじゃないでしょうか*1。
編著者という特権的なポジションにいる方のSOGIEや社会的な立場性が偏っていると、内容も偏ってしまうのではないかという懸念があります。実際、編著者のお一人である後藤さんもそのような懸念・疑問が頭によぎったようで、以下のように書かれています。
山縣さんからお声がけいただいた際、私なんかよりもレズビアンやトランスジェンダーの方のほうがよいのでは…という逡巡もあったのですが、25年間ライターとして生きてこられた自分がこのようなかたちでLGBTQコミュニティに貢献し、恩返しできるのであれば本望だとの思いから、お引き受けすることにしました。
その後、クラファン終了の直前になって、山賀沙耶さんという、セクシュアルマイノリティ女性向けに活動している「パフスクール」のスタッフで、フリーランスで編集ライターもされている方が制作に関わられることが発表されました。
この書籍の企画については、クラウドファンディングが立ち上がる前に、山縣さんから「協力してほしい」という旨をちらっとお聞きしていました。
その詳細をクラウドファンディングのページで拝見したときにまず思ったのは、「“LGBT”のヒストリーブックを作るのに、ゲイ男性2人が編著者で大丈夫なのだろうか?」ということです。
うん……。やっぱりそこ、気になりますよね。初歩の初歩的な疑問ですよね。山賀さんのメッセージを読むと、LGBTQコミュニティ内の男性中心主義への批判的な視座を持たれていることや、制作メンバーには山賀さん以外にもセクシュアルマイノリティ女性がいるらしいということが分かります。
ひとまずこの疑問・懸念は解消されたように思えますが、山賀さんは「制作に協力する」というお立場のようですし、「編著者というポジションに立つのはシスゲイ2人」という点は変わらないのかな、と思うと、やはりこの疑問・懸念がキレイに解消されたとは思えません。
疑問・懸念②歴史記述の「偏り」をどこまで無くせるのか?
で、このクラファンに対して疑問や懸念をいだいたぼくは、以下のようなツイートをしました*2。
これ編著者2人ともシスゲイのひと?(違ったらごめんなさい) LGBTをタイトルにつけるんだったら最低でもレズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーのひとも著者の中に入れたほうがいいのでは? https://t.co/ATVSg3EQqH
— 元気のないおさむ (@nigenigeOsamu) November 7, 2022
『LGBTヒストリーブック』の翻訳出版クラファンには参加させてもらったし、とても良い本だったし、日本運動史編が出るのは楽しみだけれど、それがシスゲイのひと(だけ)で編まれるのは良くない……ってかちゃんと反対の声を挙げたほうがいいかなと思った。これから改善されるのかなあ?
— 元気のないおさむ (@nigenigeOsamu) November 7, 2022
これらのツイートをしたところ、明治大学法学部教授・北海道大学名誉教授である鈴木賢さんからこのようなリプライがとんできました(一応、スクショ撮っておきました)。
https://t.co/q0JZlkKmrS
— 『台湾同性婚法の誕生』増刷できました! (@xianken1) November 8, 2022
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鈴木賢さんとはフォロワーでもフォロイーでもありませんし、面識すらありません。なので、急なタメ口(上から目線?)のリプライにちょっと動揺しました。で、URLを踏んで、鈴木賢さんの書かれた応援メッセージを拝読しました。
雑に要約してしまうと、「日本のLGBTQの社会変革運動の歴史」への社会的関心が高まってきていること、歴史記述の難しさは多々あれど、歴史解釈は広く開かれているのであって、このクラファンはその最初の一歩であるのだということなどが書いてあります。
大まかには理解しますが、しかし、疑問は残ります。まず、歴史解釈は広く開かれていると書かれてありますが、それを書籍というかたちで制作・発行することは、現状、すべてのひとができることではないはずです。男性である/シスジェンダーである/都市に住んでいる/健康である……などの特権を持つひとに比べて、男性以外のジェンダーである/シスジェンダー以外のアイデンティティを持っている/地方に住んでいる/障害や病気があるひとは、比較的それがしづらいという不均衡な社会的状況があるのではないでしょうか。
とりわけLGBTQの社会運動においては、山賀さんが書いておられることとも関連しますが、ゲイ男性が中心を占拠してしまっているという批判がなされてきています。そんななか、編著者が都市に住むシスゲイ2人だけ……となると、先述したようなことを筆頭に、さまざな不均衡な社会的状況をスルーした歴史記述になってしまうのではないかという懸念があります。
歴史を編むということは大事な仕事だと思います。だからこそ、「最初の一歩だから編著者の偏りは大目に見てあげて」というのではなくて、最初の一歩だからこそ、できるだけ偏りが出ないように、編著者のSOGIEや社会的な立場性を重視する必要があったのではないでしょうか。
疑問・懸念③パートナーシップ・婚姻制度の話がどう扱われるのか?
以前にもブログに書いたことがありますが、少なくとも2010年代後半から、LGBTQの社会運動のアジェンダが、同性婚の成立や同性パートナーシップ制度の策定ばかりが取り上げられる傾向にあるように思っています。
同性婚ができない差別的な現状を放置してよいとはまったく思いませんが、LGBTQの社会運動のアジェンダはもっと多様で、さまざまな当事者のニーズがあります。日本各地で行われている多種多様な運動をつぶさに見ていくと、そのことははっきり分かるはずです。
ところで、編著者のお一人である山縣さんは、このクラファンに「過去から未来へ 歴史の流れは、婚姻の平等の実現へ」というタイトルの文章を寄せておられます。
本家の『LGBTヒストリーブック』を読めば、多少の揺り戻しはあったとしても、歴史の大きな流れは婚姻の平等へと向かっていると確信が持てることでしょう。そして、日本もその例外ではなく、遅かれ早かれ、同性婚が実現される日が必ず来ることでしょう。そう思えるのは、日本においても、LGBTQの人権運動が着実にその歩みを前へ進めている実感があるからです。
山縣さんは、「結婚の自由をすべての人に」訴訟の、東京二次訴訟の原告のお一人でもあるそうで、同性婚ができない現状に対する問題意識があることが窺えます。その問題意識は共有しますが、一方で、先述したように、同性婚の成立ばかりがアジェンダとして取り上げられる傾向があるように思えることもあって、危惧もしています。
「いろんな運動があったけれど、婚姻の平等の実現はもうすぐだ! 頑張ろう!」みたいに雑に総括して、アジテーションする感じで締められたりしないか、ちょっぴり心配しています。
『LGBTヒストリーブック日本運動史編(仮)』では、LGBTQの社会運動の多様なアジェンダや取り組み、さまざまな当事者のニーズが取り上げられることを願っています。すべてを漏らさず記述することは無理でしょうけれど、だからといって、どんな内容・構成・バランスになっても構わない、というわけでもないのではないでしょうか。
書籍で取り上げてほしいエピソードや人物について投稿できるご意見フォームが設置されていますが、意見や批判を待つだけではなく、積極的に多様な立場のひとの意見や批判を聞きながら制作が進んでいってほしいなあと思います。
おわりに
軽く備忘録的にメモする程度に留めておこうと思って書き始めたのですが、4,000字を超えてしまいました。長々とすみません。ここまで読んでいただいた方には感謝します。より多くのひとと問題意識を共有できたら嬉しいなと思います。他にも疑問点や懸念点がある方がいらっしゃいましたら、コメントに書いてもらえるとありがたいです。
『LGBTヒストリーブック日本運動史編(仮)』の制作は今後も続くでしょうし、クラファンのページで進捗報告もなされるようです。書籍が完成し、発行されたらぜひ読ませていただきたい、そしたらまた感想など書きたいと思っています。
最後に、重ねてになりますが、このブログに書いた疑問や懸念が、すべて杞憂に終わるといいなと思っています。