にげにげ日記

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(元)不登校ゲイの思索

性差別的な発言を目撃したときの戸惑い——年末年始に思い出すこと

おさむです。

 

忘年会や新年会、親戚の集まりなど、年末年始はお酒を飲む場が増えますね。

 

お酒を飲む場では性差別的な言動が増えるような気がして、そうすると年末年始は性差別的な言動を目撃する機会が多くなるように思います。どうでしょうか。

 

性差別的な言動が発せられたときに、その場にいるぼくはどうすればいいのか、いまだに答えが出せていません。その戸惑いについて書きます。

 

 

友人Aさんの発言

数年前の年末、友人らと集まってご飯を作って食べていたときに、紅白歌合戦を見ていました。そしたら友人のうちの1人(以下、Aさん)が、テレビに出ている某女優を見て「◯◯、太ったね」と言いました。

 

ぎょっとして。「え、マジか」みたいな。それで、ちょっと間を置いてからぼくは「さっきの発言、よくなかったと思う」と言いました。「なんで?」と問うてくるので、「女性は痩せてなきゃいけないとか、脱毛してなきゃいけないとか、メイクしてなきゃいけないとか(2019年的には、「パンプスとかヒールの靴を履いてなきゃいけないとか」も追加ね)、そういう女性への一方的な社会規範を強化しかねないでしょ」などと説明。

 

#KuToo(クートゥー): 靴から考える本気のフェミニズム

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その場にいたもう1人の友達も一緒に説明してくれました。それで納得してくれたみたいだったんですが。

 

実はAさんはうつ病を患っていて(そのことはぼくら2人とも知っていました)、それで、先の発言を批判されたことで病状が悪化したみたいで、落ち込んでしまいました。そのまま会は終わってしまって、結局、帰りの電車の中で年を越しました。

 

それからAさんとは会っていません。

 

父の発言

今度は年始です。お正月、親戚の集まりにめずらしく参加したところ、近々、いとこが結婚するのだと聞きました。

 

それに対して、父が言いました。「女性の幸せは、結婚だからね」と。

 

言葉を失いました。「え、何言っちゃんてんの?」と。意味がわからなさすぎて、まさかそんなあからさまな性差別を目撃するなんて思っていなくて、失言。マジで完全に失言。

 

何も言えないまま、飛行機の時間が迫っていたので、その場から離脱して東京に戻りました。

 

何も考えていない、コストを支払わない

極端すぎるかもしれないけれど、性差別的な発言をしてしまう彼らはたぶん「何も考えずに発言している」んじゃないかなあ。

 

なんとなくこの社会で言われていること、身の回りの人間関係のなかで共有されている価値観、そういったものを「何も考えずに発言している」。一方で、それを指摘・批判する側にいるひとは、たくさん勉強したり考えたりしてようやく指摘・批判できるわけです。この非対称性。

 

加えて、性差別的な発言を「何も考えずに発言」するコストと、それを指摘・批判するコストとの非対称性も問題です。後者は、「その場の雰囲気を壊した」とか「言いすぎ」とか言われて罰せられる可能性すらある(その逆はない……)。そのリスクを負って指摘・批判するわけです。

 

当然、それを女性が行う場合のリスクやコストを考えると、男性であるぼくはまだまだ安全なところにいます。セカンドレイプに遭うようなことはないだろうし、だからぼくはぼくの可能な範囲で言えることを言っていくべきだと思う。でもやっぱり、それでもやっぱりきつい。まだぜんぜん慣れない。

 

いつかもっとあっさり指摘・批判できるようになるんでしょうか。

 

こういったときにどうすればいいのか、いまだに答えが出せていません。どうしたらいいんだろう。