おさむです。
高校2年生の秋、ぼくは学校の体育館の壇上に「私はゲイです」と書かれたTシャツを着て立っていました。
この話をすると、よく「勇気ある行動だ」と言われます。そうなのかもしれないし、ただの勢いに任せた無鉄砲な行動だったのかもしれない。いずれにしても、ぼくはその日から学校で唯一の「オープンリーなゲイ」として過ごすことになりました。
なぜそんな行動を取ったのか、その後の学校生活はどうだったか、書きたいと思います。
不登校のほうが問題だった
中学校を卒業するまでの約6年間を、不登校・ひきこもりとして過ごしました。それはぼくにとって大問題で、これからどうやって生きていけばいいのかさっぱり分かりませんでした。中学生にして、すでに人生の落伍者みたいに思えました。だから、自分がゲイであることは、そのことと比べればまだ大した問題じゃないというか、まあ多少は悩んだり考えたりしたんでしょうけれど、そこまで葛藤したことはなかったと思います。
NHKの「ハートネットTV」という番組を家族にこっそり見ていたことを覚えています。「レインボーカリッジ」というLGBTの大学生たちの集まりがあって、そのメンバーが顔出しをして出演していました。そのほかにも、インターネット検索でさまざまな情報を得ていました。ゲイのひとのブログも読んでいた記憶があります。いろんなところから情報を集めて、少しずつアイデンティファイしていきました。
進学の不安でいっぱい
「高校くらいは出ておかないと、生きていけないよ」と両親や親戚に半ば脅されるようにして、進学を決めました。とある定時制高校に受かったはいいものの、「どうせまた行けなくなるに違いない」「うまくいくはずがない」とネガティブな思考がどうしても拭えず、希死念慮でいっぱいになったりしていました。
不安いっぱいでしたが、実際に入学してみると、毎日ちゃんと学校に通えるし、友達もそれなりにできて、充実した高校生活を過ごしていました。もちろんコミュニケーションや生活リズムの問題はありましたが、他の生徒も同じような問題を抱えていたから、ぼくだけが浮いてしまうようなことはなかったし、先生方もそれを分かっていてサポートしてくれました。
そうして対峙させられる
不登校・ひきこもりの問題がある程度解消されると、今度は、自分がゲイであることをどう受け止めるか、それを受け止めてどう社会と対峙するかという問題が立ちはだかりました。
いわゆる「ホモネタ」を何度も見聞きしました。「あいつはホモだ」とか「◯◯と××はデキているんじゃないか」とか、そんなことを話して笑って盛り上がるみたいなコミュニケーション。不登校・ひきこもりの期間が長かったので、実際に「ホモネタ」を体験するのはこれが初めてでした。とてもショックでした。
あるいは、恋愛の話を振られたときにどう対応すればいいか、どうカモフラージュすればいいかの経験値も無かったので大変でした。カモフラージュできなさすぎて、次第にぼくは「ホモキャラ」の座に就かされるようになりました。共通の友人たちの間で、ぼくは友人のBくんが好きなゲイだという設定になっていたのです。恋愛の話になると、ぼくは「おさむはBくんが好きだもんな」と振られて、ぼくは大げさに「うん」と言って、Bくんが嫌な顔をして、それで一笑い、みたいな。
ゲイ・プライド
このような状況が、自分がゲイであることをしっかり受け止めたり、ゲイであることを誇りに思ったりすることを阻害していたように思います。
その一方で、ひょんなことからアメリカの学園ドラマ「glee」を知って、そこからゲイとしてのプライドを持つことを学びました。
「glee」は、オハイオ州にある高校のグリークラブ(合唱部みたいなもの)を舞台にしたドラマです。身体障害のある生徒、黒人やアジア系の生徒、そしてゲイの生徒も出てきます。
ぼくにとって初めてのロールモデルでした。高校生で、しかもゲイ。夢中になってその生徒(「カート」という名前です)の行方を追いました。
カートはセクシュアリティをオープンにして学校生活を送ります。そしてひどいいじめに遭います。そんな状況にあっても、ゲイであることに誇りと信念を持ち続ける姿勢に畏敬の念を抱きました。
「ぼくもいつかこんな風に生きられるだろうか」と、ぼんやりしたイメージを持っていました。それがまさか、カートと同じような選択をすることになるとは。このときは夢にも思っていませんでした。
(後編につづく)