にげにげ日記

にげにげ日記

(元)不登校ゲイの思索

男子トイレはいつも冷たい——ゲイの大学生が性被害に遭うということ

(性暴力に関する描写がありますので、気をつけて読んでください。気持ちが落ち着いているときや、安全だと思える場所で読んでください)

 

毎年、この時期になると思い出さずにいられないのが、大学1年生のときに性被害に遭ったことだ。泣き寝入りなんてするものか、と奮い立って、教授や大学を相手に戦って、たくさんのひとを敵に回し、たくさんのひとから嫌われた。研究室にもいられなくなって、卒論はぐちゃぐちゃだったし、卒業式や卒業パーティーにも出席できなかった。ホントにつらい思い出で、いまのひん曲がった人格形成に大いに貢献してくれていると思う。

 

こんな話を書くのは気がひけるのだが、チョ・ナムジュ『彼女の名前は』を読んで、そのことについて何か書いてみたいと思うようになったので、書けることだけを書いてみる。もしかしたらしんどくなって、この記事自体を削除することがあるかもしれないので、先に断っておく。

 

彼女の名前は

彼女の名前は

 

 

それは研究室の忘年会で起きた

友人の相談に乗っていて、遅れて忘年会に到着したときには、教授はベロベロに酔っていた。遅れてやってきたぼくに近づいてきて、ぎゅーっと抱きしめて、くさい息を吐きかけてきた。「遅れてきた罰だ」と、そのまま連行され、教授の隣の席に座らされて、太ももの内側を延々とさすられた。この教授とは一度だけちょっと会話したことがあるだけで、大した面識はなかった。

 

先輩に、鍋をよそってもらったが、煮えすぎて食感がなく、まったく美味しくなかった。どういう文脈だったか忘れてしまったが、もうひとりいた教授と先輩たちは人種差別に関する話をしだして、「黒人というだけで殴られるなんてひどい」みたいなことを言っていた。それを受けて、隣に座っているベロベロの教授はぼくのほうを向き、「男が好きだというだけで殴られたら、お前どう思う?」とドスを利かせるように言った。ぼくはこの教授に直接カミングアウトをしたことはなかったので、アウティングをされたのだと勘付いた*1

 

教授は、ぼくに殴りかかるようなポーズをした。それまではギリギリ笑ってやり過ごそうとしていたぼくだったが、さすがにもう笑えなかった。顔がミシミシと引き攣った。

 

トイレの個室は冷たくて、安心できた

周りには同級生や先輩が何人もいて、ほとんどがシラフだったと思うが、誰一人止めに入ってはくれなかった*2。それどころか一緒になって笑っていた。忘年会の終わり際に、もうひとりの教授(下戸なのでシラフ)が、ベロベロの教授を車で送るといって、それからぼくの耳元で「酔っぱらってたから仕方ないよね。許してあげてね」と囁いた。

 

ぼくはトイレの個室に駆け込んで、吐いた。胃の内容物はほとんどなかったが、吐き出したいものは山ほどあった。あのときのトイレの床の冷たさと、個室の安心感をいまでも覚えている。ここなら誰にも脅かされない。

 

なんとか家に帰って、ベッドに倒れ込むと、今度は嫌悪感がぞわぞわーっと身体を蝕んでいった。最初は教授への嫌悪感だったが、いつの間にかそれは男性嫌悪へと変わって、やがて男性である自分や、男性を恋愛や性愛の対象とする自分への嫌悪になっていった。頭から爪先まで、ぜんぶ汚されてしまったと思った。もう元には戻れないと思った。

 

性被害としては、もっとひどいものがたくさんあって、それと比較するとぼくが受けたものは軽度なものだろうと思うが、それでもこんなにしんどかった。たぶん、被害者にとって、被害の程度よりも先んじて問題になるのは、自分の身体や性を勝手に取り扱われるという体験それ自体、または、それによって尊厳を深く傷つけられることなんじゃないかと思う。

 

 

男性やLGBTQの性被害が想定されていない

その晩、どうしても眠れなかったので、スマホで「セクハラ 男性被害」などと検索をした。きっと相談先がどこかにあるだろうと思った。しかし、検索結果に出てくるページはどれも「こういう行為はセクハラに該当します!男性は注意!」みたいな内容ばかりで、男性やLGBTQの性暴力被害者が必要な情報はどこにもなかった。ファッキュー、グーグル。

 

それから各地方自治体でやっている「男性相談」に電話相談をしてみたが、「それって性暴力なんですか?」「それくらい大したことないでしょう」みたいな対応をされた。あとから知ったが、このような「男性相談」の窓口って、リーマンショックのときに男性の自殺者数が急増して、それに対応するためにつくられたらしく、性暴力に関する知識はないことが多いそうだ。

 

男尊女卑の社会は、男性すべてを幸せにはしない(もちろん女性を幸せにはしない。はやく男女平等の社会をつくろう)。そこに序列が作られ、男らしくない男性は下位に置かれ、差別される。男らしい男性が標準とされ、性暴力に遭うような弱い男性のことは想定されない。それでも女性と比べると男性は下駄を履かされているし、「男なんだから弱音を吐くな」などと刷り込まれるから、被害を申し出るのがなかなか難しい。そうして男性の(性暴力)被害者は不可視化され、相談先はなかなか見つからない。

 

それからのこと

だいぶ長くなってしまったので、このあとの展開は要約する。また別の機会に詳しく書けたらいいなと思う。ぼくは、大学の男女共同参画推進みたいな部署に相談をして、そこに常駐していたカウンセラーの方に話を聞いてもらった。それから学内にあるハラスメント委員会みたいなところに申し立てをして、教授を相手取って戦った。1年近くかけて、ようやくハラスメントの事実が認められたときには、加害者の教授は自主退職しており、責任を問うことはできなかった。「被害者のプライバシーを配慮して」などと「配慮」され、大学として事件を公表されることもなかった。

 

ぼくはその間、男性嫌悪がどうしても拭えなくて、当時付き合っていた彼氏とは別れ、家の外では男性に見えるひとを自然と避けるようになったり、加害者の教授と似た風貌のひととすれ違うと動悸が止まらなくなったりした。ストレスで体重は15kg近く増えた。もといた研究室にはいられなくなって、研究室を変えた。変更先の研究室にも馴染めなかった。同級生の誰かが「あいつのせいで、◯◯教授が飛ばされて、研究ができなくなった」と怒り、悪口を言いふらしているらしいと聞いた。ぼくは人間不信に陥った。

 

あんなことがなければ、もっとマシな大学生活を送れたに違いない。そう思うと、怒りがふつふつと沸いてくる。あの教授は、いまもどこかの大学で教鞭をとっているのだろう。「アンナチュラル」というドラマでも言っていたが、被害者がその身を投げ打って被害を問題化したとしても、加害者はそのことをいつかは忘れ、のうのうと生きていく。被害という重荷を背負わされるのは、いつも被害者のほうで、加害者のほうではない。そのことが、ずっと悔しい。

 

おわりに——あのときのぼくへ

あれから5年以上が経って、男性やLGBTQの性被害に関する情報もちょっとは得やすくなったと思うし、相談先も少しは整備されてきているが、やはりまだまだ足りないのではないだろうか。

 

ぼくの被害経験が、誰かの役に立つといいなと思う。役には立たなくても、せめて同じような体験をしたひとがこの社会のどこかに生きているんだと思ってもらえればいいなと思う。というか、できることならあのときのぼくに真っ先に寄り添ってあげたい。「こんな経験、きっと誰にも分かってもらえない」と、ひとり絶望していたぼくに。

*1:オープンリーなので、アウティングもクソもないと思われがちだが、だからってホモフォビックで差別主義的なひとに伝達して暴力を振るわれたり差別されたりするのは当然嫌だし、それを問題にしても構わないはず。

*2:後日、「なにもできなくてごめん」などと謝ってくれた先輩がいて、「いえいえ」と許すような感じで言ってしまったが、まったく許していない。「いえいえ」なんて言わなきゃよかった。