にげにげ日記

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(元)不登校ゲイの思索

一橋大学のアウティング事件から5年が経つそうで

一橋大学アウティング事件から5年が経つそうで、いくつかのメディアで記事が公開されたり、一橋大学の学生らがWEB上で動画を公開したりしているのを見た。引っ越し準備が重なって、あまりちゃんとチェックできなかったが、それじゃあダメだと思って、あらためてチェックするついでに記事として残したいと思った。

 

事件が報じられたときのことをハッキリと覚えている。ぼくは大学から帰る電車に乗っていて、スマホTwitterを眺めていたらこのニュースが目に飛び込んできた。ものすごい衝撃を受けた。同年代で、大学もそう遠くはなく、ゲイに対する差別や偏見によって追い詰められて自死を選んだというのが、ものすごく身近に思えて、思えすぎて、「これってぼくのこと?」と勘違いするくらいだった。

 

www.huffingtonpost.jp

 

(著者のりぃなさんとは一度お会いしたことがある。事件のあらましや、その後の社会の動向まで併せて書いてあって、タメになる)

 

家に帰ってもしばらくこの事件が頭から離れなくてしんどかったので、友人や知人にLINEを送って連絡を取った。そうしていろいろな感情を共有していくうちに、追悼集会を開くことになった。亡くなった学生のことを思って、ではあったが、同時に、自分のためにも必要なことなんだという気がした。事件が報じられて数日後、キャンドルと花束を持って行き、10人くらいのひとが集まって、追悼した。

 

その後、裁判が始まって、その中間報告のイベントにも参加した。この事件の裁判が判例として残ることの社会的意義をしっかり確認できたのと同時に、亡くなった学生の置かれた状況に親近感を覚えるあまりフラッシュバックのようなものを起こして、気分が悪くなった。彼とぼくとは、ほとんど距離がない。場所が違えば、ぼくは彼になりうるし、彼もまたぼくになりうる。そんな実感があった。

 

先のりぃなさんの記事にも書いてあるように、「もしかしたら彼は私だったかもしれない」と思わずにはいられない。どこかで知り合って友達になっていても全然おかしくなかったはず。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

ぼくは彼について詳しくは知らない。報じられている情報しか知らない。また、ぼくは高校生の頃からオープンリー・ゲイなので、アウティングをされて困ったという状況に立たされたこともない。それでも親近感を覚えたのは、この社会に存在するゲイに対する偏見や差別と直面するという点で、共通する体験があるからかもしれない。

 

事件から5年が経つが、この件について考え始めると、やはり気持ちが落ち着かなくなる。考えがうまくまとまらない。裁判が良い方向に進むといいなと思うし、一橋大学を含め、すべての大学のキャンパスがLGBTQフレンドリーなものになってほしいと願う。でも、それだけでいいのだろうか。分からない。全然足りないような気がする。彼を追い詰めてしまったこの社会は、十分に反省できているのか、心許ない。もっと何かが必要な気がする。

 

ひとまずは、事件のあとに一橋大学のなかで生まれた団体や動きをフォローして、応援していきたい。WEBサイト上では、この事件に関する追悼メッセージを募集しているらしい。ぼくも送ってみようと思う。

 

youtu.be

 

hitupride.wixsite.com

 

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