おさむです。
昨年のクリスマスに彼氏と本を交換し合いました。ぼくがもらったのは、ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』。対して、彼氏には、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ――フェミニストは黙らない』をプレゼントしました。
『82年生まれ、キム・ジヨン』など、このところ韓国フェミニズム関連の書籍が人気なようで、ぼくも何冊かチェックしていますが、どれもすばらしい。
女性が置かれた状況や、フェミニズム運動に対する男性側のリアクションなど、日本のそれと通ずるところが多々あり、「これは韓国だけの問題ではないな」と再確認させられます。
それだけじゃない。不条理な差別や抑圧を対象化するのに必要なことばや物語を供給してくれる。「そうか、そういう言い方をすればいいのか!」「言われてみれば、そうだったか…」と、気づかされる。
イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ――フェミニストは黙らない』もまさに、そのような一冊でした。
女性が性差別についてよく知っているのは、運がよかったからでも、生まれつき頭がいいからでもありません。(p.31)
本書を読んで、ハッとさせられた言葉の1つです。
男性は(マジョリティは)、(性)差別について、「おれ分かんないから、教えてよ」と教えを乞うことがあります。「あなたのほうが詳しいんだから、教えてよ」、と。誠実に対話をするためにそう聞くこともあれば、ふんぞり返るように言うこともあります。
それに対して、「あれやこれやと説明してあげなきゃ」と責任感や義務感を覚える。あるいは、うまく説明できなくて反省・後悔してしまうことがある。ひどいときは、その男性(マジョリティ)から「ほら、うまく説明できないじゃないか」と非難を受ける。
でもさ、そもそもさ、説明するかどうか決める自由があなたにはあるんじゃない? 性差別についてあなたが知っているのは、幸運だったからでも頭脳明晰だからでもなくて、「生きていくうちに何度も差別を経験しているから」(同上)でしょう。理解しようと思っていない相手に対して、分かりやすく頑張って説明してあげる義務はないよ。
これこそが、本書でも何度も繰り返される強いメッセージです。
セクシストと対決するかどうか選ぶ自由
昨年末に、こういう記事を書きました。
過去の、友人Aや父の差別的な発言にどう対応するか、迷い、後悔する気持ちがまだ残っていました。
「もっと良い言い方があったんじゃないか」
「ちゃんと指摘すべきだったのではないか」
「分かりやすく/的確に説明できなかったのが悔しい」
こういう責任を、ぼくだけが(過剰に)背負う必要はないのかな、といまは思います。だって、本来は差別的な発言をした本人こそが背負う責任でしょ。大人なんだから。周りの人から「うわ、セクシストだ」「いつの時代のひと?」と距離を置かれるなりなんなりすればいいのです。
でもやっぱり、ぼくは男性で、この本で書かれているような女性が置かれている状況とは違う状況にある(下駄を履かされている)わけだから、言えるときには言うべきことをちゃんと言っていく必要があると思う。
「女性に代わって」ではなく、ぼくがぼくの立場からおかしいと思えることは言っていかなくちゃいけない。
誰かが発した差別的な言動の責任を引き受けすぎるようなことはしなくてもいいけど、おかしいことについては言えるときにはちゃんと言う。そうしたいと思いました。
おわりに
ほかにも書きたい感想や考えたことはあるのですが、1つの記事では書き切れないので、ひとまずここまでにします。
本当に素晴らしい本でした。ぜひご一読を。