おさむです。
あけましておめでとうございます。
表題の通り、先日、弟に「親不孝だ」となじられまして、結果として「ぼくは親不孝です」と自称するに至りました。
現場からレポートします。
ぼくと家族との関係
そもそも、ぼくと家族との関係は、非常に良くありません。もう全然話したくないし、実際ほとんど話さないようにしてる。
それは、不登校の頃から続く軋轢でもあるし、子どもの頃からきちんと対話をしてこなかったツケがきているのだとも思います。
弟は、進学に際して上京してきて、今年から同居し始めました。最初は会話をしていたのですが、あるときレイシズム的な発言をしていたのでそれを指摘したところ、へそを曲げて、それっきり会話しないようになりました。
それから約半年が経った頃でした。
「親不孝だ」と言われて
炊飯器に残っていたご飯を食べたところ、それは弟が食べる予定のものだったみたいで(知らねーよ)、それがきっかけで怒りのLINEが大量に送られてきました。
いろいろ溜まってたんでしょうね、怒りの矛先はぼくの人格や素行に向いてきて、最終的に言われたのが「親不孝だ」でした。
最初は、ひどい言葉をぶつけられたと思って、「違う、親不孝なんかじゃない」と反論しました。でも、よく考えてみると、必死になって「ぼくは親不孝じゃない」と反論するのってなんか違くない?と思うようになりました。みんなが親孝行じゃなきゃいけないの?
世の中には虐待をしている親がいて、そういう家庭出身の子どもに対しても「親孝行をしろ」と言うべきかと問うてみると、それは「NO」でしょう。親との関係は様々で、一様に「子どもは親孝行であるべき」と言ってしまうのは問題だと思います。
子どもは親の奴隷じゃない
また、親との関係が良好であったとしても、親の意向に必ずしもそぐわなきゃいけないわけではないはず。子どもは親の奴隷じゃないのです。
その点、弟は「子どもや親孝行であるべき」という価値観を持っているようで、大変だなあと思います。親の奴隷になるんですね、あなたは。あんな重い言葉をぶつけてきたのだから、ぼくはもうあなたのことなんて知らないけれど、まあ頑張って。
発想の転換
以上のようなことをグルグル考えて、次のような結論に至りました。
「親不孝でいいじゃん。そういうひとだっているよ。仕方ないこともあるよ。ぼく親不孝ですけど、何か問題ある?」
LGBTのひとたちが「クィア(変態)だ」と蔑まれ、「クィアで何が悪い?!」と言って言葉の再領有をしたように。
親孝行したいひとはすればいいと思います。でも、「親孝行であるべき」とひとに押し付けるのはやめましょう。親との関係はひとそれぞれなんだし、虐待を受けて親との関係が悪いひとにとっては、とてもしんどい押し付けです。
その主張をしていくためにも、ぼくは「親不孝ですけど、何か?」と言っていきたい。