おさむです。
これまで何度か、不登校だった頃のことをつらつらと書いてきました。
今回は、不登校の「その後」。高校生からいままでの人生において、不登校という経験がどのように影響してきたのか、ということについて考えてみたいと思います。
- 不登校の「その後」①「時間割」という感覚がない
- 不登校の「その後」②「みんなで行動する」という経験がない
- 不登校の「その後」③いわゆる「常識」が身についていないことに気づく
- 不登校の「その後」④なんとなく生きづらい
- おわりに:ハッピーエンドに抗して
不登校の「その後」①「時間割」という感覚がない
「この時間には◯◯をして、次の時間には✕✕をする」とか、そういう感覚がなかなか持てませんでした。
不登校のときも勉強はしていたのですが、特に時間は決めずに、やりたいだけやる(裏返すと、やりたくないときはなにもしない)という感じでした。自然とそうなっていきました。誰かに指示されるわけでもなく、監視されるわけでもない生活です。やりたい放題。数学のわからない問題があれば、解けるまでうんうん唸っていてもいいし、国語の問題がめんどくさかったら後回しにする。自由が効きました。
だからこそ、高校や大学で、「この時間は◯◯をやる。完成しなかったら来週の同じ時間に回す。そして次の時間は✕✕をやる。◯◯のことは頭から消して、✕✕に集中する」みたいな、頭の切り替え、時間の管理が難しかったです。
いまはだいぶ慣れました。
不登校の「その後」②「みんなで行動する」という経験がない
フリースクールや適応指導教室に行っていれば別でしょうけれど、基本的に、不登校はひとり行動です。①と同様、自由が効きます(もちろん他人の目が気になって、自由に外出できるわけではないんですが)。
だから、高校進学してからというもの、集団行動が苦手でたまりません。苦手というか、イマイチ理解できていません。
みんなで行く先が決まったとして、自分だけそこに行きたくない場合はどうすればいいのか。「みんな」から外れてしまってもいいのか。なぜみんなは「みんな」から外れないでついていけるのか。
みんなで話をしていて、その話題に乗れないときにどうすればいいのか。「みんな」から外れてひとりで読書していてもいいのか。なぜみんなは「みんな」から外れないでついていけるのか。
集団行動によって、自分という「個」が蔑ろにされるのが嫌なんだと思います。嫌というか、慣れていない? ちょうど良い距離感を保ちつつ、集団行動によって得られる利益は得ておいて、めんどくさいことはうまく回避する。そのように立ち回れたらいいのですが、なんせ経験値がないので、ちょうどいい感じにやれない。
不登校の「その後」③いわゆる「常識」が身についていないことに気づく
一般的に言う「常識」もあれば、もっとそれ以前のものもあるのですが。
例えば、紙をまっすぐ切りたいときに、「どうやってハサミでまっすぐ切れるか」と試行錯誤していたら、友達から「カッターで切ればいいじゃん」とサラッと言われて、「あ、そうか」と愕然とした経験がありました。なんで思いつなかったんだろう、と。
これ、高校生の頃の話です。
カッターナイフの存在は知っていたし、使い方もまあ分かってはいたのですが、「紙をまっすぐ切りたい」という状況とカッターナイフとが連想できなかった。そういうレベルでの常識のなさに、何度も何度もぶつかりました。
集団行動がよくわからない、というのもこれに含まれます。どういう原理で集団行動が行われているのか、理解できなくて苦しむのです。
こんなことを言うと、「原理なんて理解してないよ、なんとなくやってるんだよ」と言い返されそうですが、そう、その「なんとなくやる」ということが身体に染みついていないからこそ、なんとか頭で理解しようとして、うまくできないのです。
不登校の「その後」④なんとなく生きづらい
①~③のある程度言語化できているものもあれば、できていないものもあります。なんとなく生きづらい。①~③の影響もあるだろうけれど、それだけじゃない、不登校の「その後」の生きづらさがあります。
ぼくが愛読している本、貴戸理恵・常野雄次郎『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』で、不登校経験者の常野は次のように言っています。
増補 不登校、選んだわけじゃないんだぜ! (よりみちパン!セ)
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僕は今、自分の生きづらさをうまく理解することができない。そのことは、僕がかつて「明るい登校拒否児」になるために、自分の中にあった暗い負の側面を切り落としてしまったことと関わりがあるような気がする。p.146
前後の文脈を説明してみます。
登校拒否が暗い負のイメージ一辺倒で語られていた時代から、「いいえ、私は自ら選んで学校へ行っていないんです。自己実現なんです」と、「明るい登校拒否児」の物語が紡がれる動きが生まれてきました。不登校は病気じゃない、個性の1つなんだ、と。
しかし、そこで新たな抑圧が生まれます。「明るい登校拒否児」は、学校へ行かないことを「選んだ」のだから、その責任を引き受けないといけない、とされてしまうのです。そして、そこで「選んだ」と言った以上、「明るい登校拒否児」の物語はハッピーエンド以外ありえない(と、思ってしまう。思わされてしまう)。
「学校へ行かない」という選択が、選ぶに足る選択肢であるためには、「私はこれを選びました。いま楽しいです。幸せです」という言説が供給され(続け)なければいけません(実際、この手の言説を振りまく本が定期的に出版されている)。この言説が新たな抑圧を生むのだ、と常野は言います。
この本の共著者である社会学者の貴戸は、常野の文章を受け、このように書いています。
たぶんこのことは、不登校だけではなくて、もっと一般的な問題へとつながっている。
「自分は『劣った存在』だ」と社会的に思わされてしまうような立場に置かれた人びとが、選んだわけではない状態を、いかに引き受け、肯定していけるか、という問題へと。
[…]
問われているのは、「どうやったら治るか?」ではない。「ニンニクを無臭にする方法」を探しているのではない。たとえ無臭のニンニクが完成したとしても、それでニンニクをニンニクでなくすることはできないのだ。pp.148-149
つまり、ぼくが生きづらいのはニンニクであるからであって、ニンニクでなくなれば生きづらさは消えるかもしれないが、ニンニクでなくなることはできません(だって、ぼくはぼくで、ぼくはニンニクなんだから)。であるならば、ニンニクじゃなくなることは諦めて、生きづらさを抱えて、それでも自分を肯定していくしかないのです。
「ニンニクじゃないものが、ニンニクに一時的になった影響をどう克服するか」ではなくて、そもそもニンニクであることは変えられないのだから、それ自体をまず肯定するのだ/できるのか?、と。
おわりに:ハッピーエンドに抗して
ぼくは、不登校の「その後」を生きています。不登校であることは、いまもまだ続いていると言えると思います。不登校だった経験は、人生すべてにおいて影響を及ぼすだろうし、その影響を克服したり折り合いをつけたり肯定したりしながら生きていくことになるでしょう。
決してハッピーエンドとは言えない、というか、まだ「エンド」来てないんで、ハッピーかどうか決めないでほしいんですけど。
とにかく、不登校の「その後」は決して楽じゃありません。苦ばかりでもない。それなりに楽しいことがあって、年に何回か「生きててよかったなあ」と思ったりすることがあって、それ以上に悔しいことや悲しいこともあるけれど、それでもなんとか生きている。
「なんだ、それってフツウの人生なんじゃない?」と思えるようになったのは、つい最近のことです。ようやく。