おさむです。
こちらの記事に少し書いたのですが、ゲイコミュニティ独特の「ノリ」みたいなもの(特に、性的なことがら)について、改めて考えをまとめておきたいなと思って筆をとってみます。
共通感覚を呼び起こすもの
ゲイコミュニティにおいて、性的なことがらは、ときに(唯一の)共通感覚になり、コミュニティへの所属感をもたらしてくれます。
趣味や生活環境がちがっていても、性的なことがらで盛り上がって「俺らって、ほんとゲイだよねー!」って感じで、(その場では)友達になれたりします。そうやってコミュニティが生まれて、育まれてきた側面もあるでしょう。
そう、ぼくらは性的なことがらに関するマイノリティであって、性的なことがら抜きには語れない存在であることは間違いありません。
「ノリ」とセクハラ
でも、この「性的なことがらで盛り上がる」という「ノリ」って、ときに強引で、押し付けがましいと思ったりするのです。拒否できない感じ。
極端なことをいえば、「セクハラだ」とさえ思います。性的なことがらについて話したいなんて言ってないし、同意もしていないのに、勝手に始まる下ネタ。巻き込まれる「ノリ」。下ネタは嫌いじゃありませんが、無理やり聞かされたり話させられたりするのは嫌いです。
会社の飲み会でやったら「それはセクハラだ」と制止されるようなこと(=「ノリ」)が、ゲイコミュニティでは通用している。それがコミュニケーションの柱になったりする。
ゲイコミュニティとの距離感
きっと、それが嫌でゲイコミュニティから距離をとっているひともいるだろうなと思います。
ゲイの友達のなかには、新宿二丁目やゲイサークルなど、ゲイコミュニティの盛り上がっている部分に位置しているひともいれば、そこからは距離をおいて、「たまに交流会に参加するだけ」「彼氏がいるから、二丁目には行かなくても大丈夫」「アプリは使ったこともない」というひともいます。
後者のひとについて、その理由はさまざまあるでしょうけれど、ゲイコミュニティの「ノリ」についていけない、拒絶してしまうというひとが一定数いるのではないかと思うのです。
ぼくは、ゲイコミュニティの盛り上がっている部分にもいられるし、一方でそこから距離をおいてみたりすることもあります。フラフラ。下ネタなどの「ノリ」がスッと入ってきて一緒に盛り上がれるときもあれば、「うわ、キモい。セクハラじゃん」と拒絶してしまうときもあります。
同意なく、勝手に、無理やり
先日、とあるゲイサークルのイベントに参加しました。誰でも参加できるイベントでしたが、参加者のほとんどはゲイだったと思います。
そのゲイサークルのメンバーが司会をやっていて、そこであの「ノリ」がやってきました。下ネタや、女性をからかう仕草(女性のことを女性器で呼んだり、女性的な言動を蔑んだり、そういうのが超苦手です)。ゲイコミュニティでは見慣れたやりとりです。
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会場はあまり盛り上がっていないようにぼくには見えました。ぼくは正直、ドン引きしていました。ただこのイベントに参加しに来ただけ(イベント自体に性的な要素はありません)で、下ネタが聞きたいわけではないし、「ゲイコミュニティへの所属意識」を勝手に呼び起こされるのも嫌でした(ましてや、女性蔑視的なノリを見せつけられるのなんて、たまったものじゃありません)。
それでも彼らはその「ノリ」を続けました。
あれは一体なんだったんだろう、と思います。どうしてもやらなくてはいけなかったのかな? 「ゲイサークルがやるイベントなんだから、性的なことがらを盛り込まなくてはいけない」と思ったのかな? 「そうじゃないと、ぼくらがゲイである理由がない」と思ったのかな?
おわりに
何度も繰り返していますが、ぼくはゲイコミュニティから「性的なことがら」を無くして(=浄化して)しまえばいいと言っているわけではありません。
ただ、そういう「ノリ」が嫌なひともいられるコミュニティであってほしいと思っています。嫌なひとが「嫌だ」と言っても許されるコミュニティ。「めんどくせえな」とか「だったら二丁目に来るなよ」とか言われないコミュニティ。嫌なひと同士で集まって話せる場所もあるコミュニティ。
「ノリ」が得意なひと、「ノリ」に耐えられるひとだけのコミュニティって、それはもう「ゲイコミュニティ」ではなくて、「『ノリ』が好きなゲイのコミュニティ」でしかないと思います。
ゲイと一口にいっても、いろいろいます。いろんなゲイがいられるゲイコミュニティになっていってほしいです。