にげにげ日記

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(元)不登校ゲイの思索

不登校だった頃を振り返る——楽しかったこと、辛かったこと

おさむです。

 

小学4年生から、中学校を卒業するまでの約6年間、不登校でした。

今回は、その頃の生活を振り返ってみようと思います。

 

 

不登校のきっかけ

こちらの記事でも書いたように、マイノリティばかりが「理由」や「原因」を問われる構造っておかしいと思うのですが、一応書いておきます。

 

nigenige110.hatenablog.jp

 

原因はいくつかあったと思います。

 

転校した直後で、文化のギャップについていけなかったこと。家族の関係が悪化していたこと。軽いいじめがあったこと。それもあって、友達をつくれなかったこと。

 

いくつかの原因が組み合わさって、不登校になりました。

 

一応説明は試みましたが、やっぱり不登校のひとばかりが原因を問われるのには違和感があります。学校に行きたい理由なんて、みんな分かってるでしょう? みんなにも見に覚えがあるんじゃないの?

 

不登校の生活

不登校になってからは、基本的に部屋にひきこもっていました。たまにカウンセリングに連れて行かれていましたが、それ以外は部屋にいました。

 

勉強したり、勉強をしているふりをしてオンラインゲームをしたり、いまでいう「インスタライブ」とかYoutubeの「ライブ配信」みたいな、一般のひとの生配信を見たりしていました。

 

オンラインゲームは「メイプルストーリー」をやっていました。

 

 

楽しかったこと

オンラインゲームをやる時間はとても楽しかったです。オンライン上の友達ができました。

 

生配信を見ているのも楽しかったです。いまでいうYoutuberみたいな、おもしろいひとがたくさんやっていて、毎日のようにチェックしていました。

 

ぼくの不登校生活における「楽しかったこと」は、ほとんどすべてPC上というか、オンライン上でのできごとだったように思います。

 

辛かったこと

とにかく不登校であることが辛かったです。

 

田舎だったから、日中に一歩外に出れば「あれ?今日、学校は?」と聞かれるし、これからどうやって生きていけばいいのか分からなくて怖かったです。

 

家族からの視線も痛かったし、「うまくできない」自分への絶望というか、自己否定感がものすごく強かったように思います。

 

おわりに

ここ10年間だけでも、不登校の社会的な位置づけは変わってきたように思います。でも、教育を受ける権利の保障や、安全な居場所の確保などの支援が十分にできているとは思えません。

まだまだ改善が必要です。

 

制度だけじゃなくて、不登校への負のイメージもなくしていかなければならないと思っています。

 

当時、不登校であるというスティグマ(社会的烙印)を気にせずに付き合える関係は、オンラインゲームでのやりとりや、生配信の匿名チャットだけでした。リアルな関係から排除されながらも、そのような場を持つことによって、ぼくは自分の居場所をなんとか確保しようとしていたのだと思います。

 

でも、ネット上のやりとりは、中高生にとってはリスキーです。

 

不登校になったくらいでは、リアルな関係から排除されないような社会。そのようなものが必要だと思います。