アナとエルサのわかりあえなさ
「アナ雪2」は、エルサとアナの違いを明確に描いた映画でした。それは前作でも描かれていたことですが、そのテーマをさらに明確にしたのが「アナ雪2」だったと思います。
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生まれたときから居場所があって、愛に包まれて成長したアナと、その愛からひとり隔離され、孤独に育ったエルサ。そこには大きな溝があります。エルサは「ありのまま」が否定されない居場所を求めて、ひとり籠城します。アナはそんなエルサを放っておきません。苦難を乗り越えて、ふたりは「真実の愛」に到達します。前作のストーリーの概要はこんな感じでした。
このストーリーのうち、エルサが「ありのまま」を否定されない場所を求めるシーンと、その際に使用される楽曲(「Let it go」)ばかりが注目されていたように思います。ぼくもそのシーンこそがこの映画の骨子なのだと思っていました。役割からの解放、自由の追求。しかし、「アナ雪2」を見ると、そうではないのかもしれないと思いました。
「ありのままで」ではなく、「生まれてはじめて」
役割からの解放がテーマだと解釈すると、作中で語られる「真実の愛」とのつじつまがイマイチ合いません。愛ゆえにひとり隔離されたエルサが、愛を拒絶して「ありのまま」を肯定しようと模索して、結局、愛に戻ってくるという話になってしまいます。なんていうか、「結局、元鞘じゃん!」って感じがしませんか?
思い返せば、作中でリプライズされた楽曲は、「ありのままで」ではなく、「生まれてはじめて」でした。アナとエルサの根本的な違いを残酷なほどに描写するあの楽曲です。そう、やっぱりこの作品のテーマは、「役割からの解放」というより、「アナとエルサの分かりあえなさ」なのです。
だとすれば、「真実の愛」とのつじつまも合います。出自の違いや育った環境の違いから、<わかりあえなさ>を抱えるアナとエルサ。エルサは「ありのまま」を肯定しようと模索して、アナはそれを理解しようとする。それでもそこに横たわる大きな溝を超えようとする。苦難を乗り越えて、ふたりは<わかりあえなさ>を認めながらも、「真実の愛」こそが2人を繋ぎ止めるものなのだと気づく。
あまりに残酷な<わかりあえなさ>
お互いのことを想っているのに、根本的な違いがそこにはあって、それが発覚した以上、もう一緒にはいられない。そんな<わかりあえなさ>を抱えてひとり飛び出したのがエルサでした。
これって例えば、友達や家族からカミングアウトを受けるのと似ているのかなと思います(だからこそ、LGBTコミュニティで気に入られた作品になったのでしょう)。LGBTであることは、この社会の性のあり方の典型や規範から逸脱することになります。だから、自分自身の「ありのまま」を肯定することと、友達や家族などのコミュニティに所属し続けることを両立するのは、ときに難しい。
例えば、ぼくらのことをおもって「結婚しなさい」と勧めてくる両親に対して、もうどうしようもない、根本的な<わかりあえなさ>にひとり直面しながらも、それを隠して、適当にその場を繕って、なんとか表面的な関係を維持しようとする…ってこと、ありますよね。
この残酷な<わかりあえなさ>こそが、この作品のテーマなのです。たぶん。
そして、エルサの「ありのまま」肯定ソングがあり、アナが<わかりあえなさ>を乗り越え、ふたりは「真実の愛」によって絆を取り戻す。<わかりあえなさ>は残存しているけど、それを認めながら、お互いの愛によって信頼関係を築いていくことはできるのだと気づく。
だとすれば、「Let it go」は、この作品の骨子というよりかは、起承転結の「承」に過ぎないのではないでしょうか(もちろん素晴らしい楽曲だと思うけれど)。それよりもこの作品の骨子を表しているのは、「For the first time in forever」。
「アナ雪2」を見て、そんな風に考えさせられました。