にげにげ日記

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(元)不登校ゲイの思索

「自分らしさ」という幻想と、支配的なカミングアウト・ストーリー

ありのままで~

「カミングアウトして、自分らしく生きられるようになりました」

「本当の自分になりました」

「ありのままの自分で過ごせるようになりました」

 

このような言い方を見聞きすることがあります。

 

カミングアウトしなければ「異性愛者のシスジェンダー=ノンケ」として扱われてしまうこの社会では、LGBTQであることを隠したり誤魔化したりしないと不利益を被る場面が多々あり、隠したり誤魔化したりして社会生活を送ることは「クローゼット」と呼ばれます。

 

nigenige110.hatenablog.jp

 

クローゼットから出る=カミングアウトする際には、大きな勇気が要ります。きっと、みんなそうじゃないでしょうか。

 

そういうときに、「自分らしさ」「本当の自分」「ありのまま」という言葉が、足場になるということがあるんだと思います。そういう機能を持った言葉だと思う。でも、この言葉は副作用も持っている気がするのです。

 

OUT IN JAPAN

「自分らしさ」「本当の自分」「ありのまま」という言葉が頻出するのが、「OUT IN JAPAN」というプロジェクトのホームページです。このプロジェクトのコンセプトは以下の通り。

 

日本のLGBTをはじめとするセクシュアル・マイノリティにスポットライトを当て、市井の人々を含む多彩なポートレートを様々なフォトグラファーが撮影し、5年間で10,000人のギャラリーを目指すプロジェクト(ホームページより)

 

要は、LGBTQのひとを写真に収めて、名前や年齢、職業、セクシュアリティ、そして自分のカミングアウトの体験談(カミングアウト・ストーリー)やそれに対する考えをまとめてホームページで公開する、というもの。写真展なども開催しているようです。

 

このプロジェクトがどうこういうのではありません。ただ、このプロジェクトで公開されている「カミングアウト・ストーリー」に、「自分らしさ」「本当の自分」「ありのまま」という言葉がやたらとたくさん出てくるのが気になるのです。本当に、たくさん出てきますよ。

 

自分らしさって何?

先述したように、「自分らしさ」「本当の自分」「ありのまま」という言葉には、カミングアウトを後押しする機能があると言えます。その一方で、副作用がある気がする。

 

例えば、こう思うのです。

 

「自分らしさって、なに?」

「本当の自分って、そんなものある?」

「ありのままって、いいことなの?」

 

社会学的には、アイデンティティとは絶対的なものではなく、関係性によって変化するもの(親に見せる顔と、友だちに見せる顔と、恋人に見せる顔はそれぞれ異なるように)です。「趣味垢(=アカウントの略)」「病み垢」「リア垢」など、SNSで複数のアカウントを使い分けるように、アイデンティティは単一ではなく、複数形だと言われています。

 

だから、「自分らしさ」も「本当の自分」も「ありのまま」も、幻想だと言えます(とはいえ、何度も確認しているように、この言葉が持つ機能はそれとして存在しています)。

 

カミングアウト・ストーリーの典型

ひとがカミングアウトをするとき、「自分らしさ」「本当の自分」「ありのまま」という言葉を使わずにはいられないような、なんかそういうプレッシャーがあるのかなあと思います。ある支配的な語りドミナント・ストーリー)があって、そこから逃れない…というようなイメージです。

 

これは、「自分らしさ」「本当の自分」「ありのまま」という言葉に過剰な価値が付与されているから? 逆に、「自分らしくない」「偽りの自分」「裏表がある」というのは良くないこと?

 

でも、そもそも「自分らしさ」なんて幻想であって、カミングアウトしたからといって、やっぱり親に見せる顔と友だちに見せる顔は異なるわけです。

 

「自分らしさ」がないとまでは言いませんが、それはわりと平凡だったり、誰かのそれと似たりよったりだったり、曖昧だったりするものではないでしょうか。

 

「自分らしさ」の副作用

では、なにが副作用なのか。

 

「自分らしさ」「本当の自分」「ありのまま」という言葉は、資本主義にとても親和的な言葉です。

 

例えば、就職説明会のポスターには「ここには、自分らしい働き方がある」などと書いてあります。みんなが求めている「自分らしさ」は、曖昧だからこそ(幻想だからこそ)、それを市場は利用します。

 

「自分らしさ」を求めて消費を続けるひとびと。「ぼくらがカミングアウトをするのは、あなたたちと同じように、『自分らしさ』がほしいだけなんだよ、すごくフツウでしょ?」そういう戦略なんでしょうか。

 

その戦略はある程度の結果を残しているのかもしれません(実際、OUT IN JAPANはひとつのムーブメントになっていると言えるでしょう)

 

しかし一方で、消費を続けるひとびとが結局「自分らしさ」を見つけられないのと同じように、カミングアウトしたところで「自分らしさ」を獲得することはできません。

 

「自分らしく生きるぜ!」

「本当の自分で過ごすんだ!」

「ありのままの姿見せるのよ!」

 

そう意気込むほどに、資本主義の論理に巻き込まれていく。

 

 

幻想を追いかけ続けて、ぼくらの「生」とプライドは資本主義に回収されていく。

 

資本力の多寡によって、コミュニティは分断されていく。

 

そのツケを支払わされるときを思って、ヒヤヒヤするのです。