にげにげ日記

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(元)不登校ゲイの思索

シンポジウム「性暴力をなくすために男性ができること」に参加してきた

おさむです。

 

今回は、性暴力に関するテーマのシンポジウムに参加した感想を書いてみます。

性暴力はこれまで「女性問題」とされてきましたが、男性の問題でもあるし、LGBTQにとっても大事な問題です。

そのような視点でシンポジウムに参加してみると、男性として、ゲイとして、考えるべき課題がたくさん見えてきました。

 

 

はじめに

 

#Metoo のムーブメントが世界を動かしています。国内でも大きな問題になりました。

 

最近だと、刑法が制定以来110年ぶりに改定され、「強姦罪」とされていたものが「強制性交等罪」と名前を変え、親告罪だったものが非親告罪となるなど、いくつかの点で変更が行われました*1 

 

そんななか、11月8日(金)に上智大学でシンポジウム「性暴力をなくすために男性ができること:男性の立場と心理を日米の心理学研究・臨床現場から考える」が開催され、ぼくも参加してきました。

 

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どんなイベントなのか説明するために、趣旨分を引用します。

 

近年の「MeToo運動」に象徴されるように、各国において性暴力に対する怒りの声が大きな分岐点となって社会変革を要求しています。「性暴力とは性の問題ではなく、パワー(力)の問題である」という認識が広まる中、男性というポジショナリティー(立場性)とパワー(権力)への分析なくしては問題の本質に迫ることはできません。本シンポジウムでは、アメリカの心理学者で男性学と性暴力研究の第一人者であるメアリー/ワシントン大学のクリストファー・キルマーティン名誉教授を招聘し、アメリカにおける心理学の先行研究の概要を伺い、性暴力をなくすためにはどうすればよいか、どのような教育が効果的かについて示唆いただきます。

さらに日本の専門家らによるパネル・ディスカッションでアメリカと日本での現状を検証し、男性性および男性のもつ加害性とどう向き合うべきか、歪められたマスキュリニティの規範をどう学び直すかについて考える機会を提供します。

 

今回は、このシンポジウムに参加した感想を書きたいと思います。

ぼくは、心理学の研究者ではありませんが、男性学についてしばらく調べたり本を読んだりしていたことがあったので、このテーマについてはすごく興味があり、このシンポジウムに参加しました。

 

そもそも性暴力ってなに?

レイプや性虐待ばかりを想像しがちですが、セクシュアルハラスメントや痴漢なども該当します。「同意のない性的言動はすべて性暴力だ」とする意見もありました。

 

この分野で有名な斉藤章佳『男が痴漢になる理由』では、痴漢を行う理由の大半は性欲ではないということが示されています。

 

男が痴漢になる理由

男が痴漢になる理由

 

 

性暴力は女性だけが被害を受けるものではなく、男性も被害を受けることがあります(ぼくも過去に受けたことがあります)

ひとは、権力を持つと、たびたび暴力を振るってしまう。いまの社会では、まだまだ権力が男性に集中しているため、女性の被害者が多いのだと言っている報告者もいました。

 

性暴力は性差によって起こるものではない、権力があるところで(性に限らず)暴力は起こりうる。だとしたら、同性の集団や同性カップル間、LGBTQコミュニティにおいてだって起こりうるものなのです。

 

男性として考える――シンポジウムの感想

このシンポジウムの基調講演で、クリストファー・キルマーティン氏は、性暴力を犯してしまう男性を心理学的に分析して論じました。

 

男性たちのほとんどは、セクシズム的な言動を行うことを歓迎していない。しかし、「より多くの女性とセックスすることでステータスが上がる」という圧力や、女性をもののように扱う友人らの発言、集団心理などによって、そのような言動を取ってしまう。「やっちまおうぜ!」と誰かが声を上げて、その集団がアジテートされたときに、「自分はやりたくない」「それっておかしくない?」などと言って止めようとしてみる方法を、男性たちは教わってこなかった。でも、ためしに言ってみると、ほかにも「やりたくない」ひとはいたりするものだそう。

 

また、集団においては、リーダーによって性暴力の発生率は大きく変わるという研究結果があるそうです。リーダーが性暴力を是認してしまうようなひとだった場合、性暴力や「性的いびり」(「男性に対する性的ないびり」と説明されていました)の発生率が格段に上がる。ゆえに、リーダーの素質をしっかりと問うこともまた大事である。

 

ここからは感想なのですが、上記の話は、男性として、よくわかるなあと思いました。女性をもののように扱い、同性愛者を侮蔑するコミュニケーション(=ホモソーシャル。そのなかにいると、小さな違和感がだんだん薄れていって、いつの間にか異論を声に出しづらくなっていく。連帯責任というか、共犯関係というか、とにかくそこから抜け出せなくなっていく。そこでの地位を保つために性暴力を振るえと言われたら、そうしなきゃいけない…。とても恐ろしい構図・文化です。

 

しかし、希望もありました。基調講演で、同調圧力によって間違った選択をしてしまう傾向がある一方で、「同盟効果」というものがあると言っていました。それは、じぶんといっしょに声を挙げてくれる仲間がいることによって、間違った選択をしない確率があがるというもの社会心理学の研究の結果だそう)

ぼくらは、小さな声でもいいから、かき消されてしまってもいいから、ひとまず違和感を表明して、声を挙げるべきなのだと思いました。

 

また、最近は、加害者への治療プログラムの必要性も謳われています。ただ単に厳罰化するだけじゃなくて、加害者へ治療的に介入することで、再犯率を減らすことができる。シンポジウムでは、この点について少しだけ触れていましたが、もっと聞きたかった。

 

ゲイとして考える、ゲイだからこそ考える

性暴力は、異性愛者だけの問題ではありません。ゲイであるぼくにも関係のある問題です。

ゲイコミュニティでは、たびたび性の話題が出ます。性的指向によって繋がり、交流するわけですから、性的な話題はベースにあると言ってもいいのかもしれません(もちろん性の話題だけしか出ないという関係はないと思いますが)。しかし、だからといって、性暴力が許容されていいはずがありません。むしろ、性的な繋がりをベースにせざるを得ないからこそ、どこまでがオッケーで、どこからが性暴力なのか、考え続けなければいけないのではないでしょうか。

 

そして、これは性暴力だけに限らずですが、集団が間違った選択をしそうになっていたら、「違うんじゃない?」と呟いてみたり、首をひねってみたり、「やめろ!」と声を荒げてみたりする必要があるのだと思います。

 

たぶん、ほかにも同じように考えているひとがいるから。きっと。

 

日本では、そのような「空気を壊す」言動って取りづらいところがあります。その点は工夫をする必要があるでしょう。暴力の加害者・加担者になってしまわないためには、「空気」とちょっと距離を置けるよう訓練する必要があるのかもしれません。

 

リッキーマーティン氏は、「あなたには思っているより大きな力が備わっている」と言っていました。「やめろ!」と言ったとして、その場ですぐに改まることはないかもしれないが、それでガッカリしないでほしい、しばらく経ってからその影響は出てくるかもしれないのだから、と。種蒔きをしていってほしい、とも言っていました。

 

おわりに

とても興味深いお話がたくさん聞けて、楽しかったです。ほかにも登壇者がいて、いろんな話がありましたが、全部をまとめようとすると大変なので、今回はここまでにします。

 

学生の気分を久々に味わえたのも嬉しかった。また学生になって、研究してみたいなあと思いました。

 

シンポジウムでは、上智大学のとある学生団体の活動報告もあり、「性的同意」についてのハンドブックを配布する活動をしているということで、そのハンドブックを1冊もらってきました。パラパラとめくってみたところ、とても勉強になりそうな内容だったので、いつかご紹介したいです。

*1:この改定については批判もありますが、ここでは触れません。批判の内容については、例えば下記のサイトで提示されています。https://broken-rainbow.jimdo.com/