おさむです。
先日、Zoomを使ってオンライン読書会を実施しました。参加者は4名。コロナ以前に企画していたものが延期になっていて、それをオンラインで実施した形です。
テキストは、以下の2つ。
・千葉雅也「平成最後のクィア・セオリー」(『新潮 2018年12月号』)
・「《インタビュー》哲学者 千葉雅也 俺たちは革命分子だ!」(『Over vol.2』)
どちらも杉田水脈議員の生産性発言(あれからもう1年半が経つんですね)を機に出版された媒体に載っているものです。
参加者の1人と話していて、「千葉雅也*1が言っていること、分かるような分からないような、すごく微妙な感じなんだよね。みんなどう思ってるのか話し合ってみたい」というところから始まった企画でした。
杉田水脈の論文について、同性婚の是非、ノーマラーゼーション、天皇制、ゲイコミュニティとの距離、ゲイコミュニティの役割などいろいろなことを話しました。
個人的なまとめをちょっと書き残しておきます。
個人的なまとめ
・ノンケもまた、結婚や子育て、性別役割などを「そういうものなのだ」と引き受けるのに葛藤や抵抗がある。その葛藤や抵抗を抑えるためにさまざまな文化や社会の仕組みがある。だからそう簡単に「多様な性」というものを許容できないのではないか。
・ノンケが「アライ」として振る舞うとき、それ自体必要なことではあるが、前述したようにノンケとLGBTの関係ってもっと抜き差しならないものであって、だから「そう簡単に理解者ぶるな」という意見もある。
・それは、例えば、常野雄次郎が言うように、学歴差別が存在するから不登校が不利になるのに、学歴エリートが不登校に理解を示すような態度にも通ずる。ノンケとLGBTの関係は、不登校と学歴エリートのそれと同様に、コインの裏表みたいな関係がある(だからこそ存在自体が革命的である)。
・そのようなコンフリクト的関係を想定すると、「みんなが当事者」的なシティズンシップの論理ではなく、当事者主権的なアイデンティティの論理に依拠して、強くならなければならない。コミュニティ内で強く育てていかなければいけない。
・そのようなコミュニティになっているだろうか? そもそもコミュニティを通過することだけが強くなるプロセスなのだろうか? また、強さってなんだろうか?(ここらへんは結論まだ出てなかったと思う)
個人的な感想
オンライン読書会ははじめてだったので、うまくいくか心配でしたが、意外とスムーズに進行してびっくり。オンラインでやる利点って、感染リスクを負わなくていいとか、会場を探す手間が省けるとかいろいろあると思うんですけれど、カクテルパーティー効果が効きにくくてひとの発話が聞き取れないことがままあるぼくとしては、そのような事態に陥らないということも大きなメリットだなあと思いました。
また、読書会に参加するのは2年ぶりとかで、久々すぎて脳みそから火花が散りそうでした。それくらい楽しかったです。実際、終わったあとに知恵熱みたいになって、頭痛がしました(笑)。
とても楽しかったので、また今後やっていきたいなと思っています。興味がありそうなひとに声をかけてみた結果、ゲイの友人知人だけでの開催になりましたが、今後はセクシュアリティ関係なくやってもいいかも。
*1:ゲイであることを公言している哲学者。読書好きなゲイ界隈では『デッドライン』という小説で有名(?)。『勉強の哲学』がすごく売れたと聞いた