おさむです。
3月16日発売の『LGBTのひろば ゲイの出会い編』に、ぼくの原稿を掲載させてもらっています。
この頃抱えている強い思いを原稿に書き出しました。
まだサンプルをいただいていないので、ほかの執筆者の原稿は読んでいないのですが、聞いた話ではかなり豪華な執筆陣になっているようです。とっても楽しみ。
読んだらまた感想を書けたらいいなと思っています。
以上、よろしくお願いいたします。
おさむです。
千葉雅也『デッドライン』を読みました。
思いのほかビターエンドで、ずしーんときています。円環構造を切り裂く<時間>という現実。主人公はこれからどう生きていくのか、気になります。
修論に取り組むストーリーと同時に、主人公のセクシュアリティに関するストーリーがぐるぐる回っていて、この点がすごく気になりました。ゲイである主人公の、思考、生活、哲学との向き合い。
「そうそう、そうだよね」と共感する部分もあり、なんだか胸を打たれる部分もあり、考えさせられました。
主人公はゲイであることを周囲の友人らに明かしています。ノンケの友人らとの間にある<距離>を、日常の中で、些細なことを通して何度も確認します。
苗字で呼び捨てにされると、恥ずかしさが一瞬湧き上がる。でも、それに新鮮な喜びがあった。なぜなら僕はずっと、互いを呼び捨てにするような男同士の関係性の外に置かれてきたから(p.10)
苗字で呼び捨てにすること。そこの手前に何かハードルとか幕とかがあって、こちらとそちらで分け隔てられている。ぼくは向こう側にはいけない。「男同士の関係性の外に置かれ」ている。そんな風に感じることがぼくにもあって、共感します。
苗字の呼び捨て以外だと、「俺」という一人称を使うこととか、「ご飯」ではなく「飯(メシ)」と言うこと、とかも該当するでしょうか。
さて、ノンケは、また別のやり方でぼくらに<距離>を感じさせます。
半分まで減ったジョッキに手を伸ばすと、リラックスした安藤くんが、
『◯◯はステディな人っていまいるの?』
と、僕を見る。安藤くんもノンケなのだ。僕は、安藤くんもリョウも実はちょっと怖い。
ステディな人。というのはいかにも紳士的な言い方だけれど、彼氏って言えばいいのにと思う。そう直接に言うより僕を尊重しているつもりなのだろうか(p.41)
「ステディな人」という言い方。あえて迂遠な言い方をする。配慮しているつもりかもしれないが、ぼくはそこに<距離>を感じる。*1こちらとあちら。そして主人公は、ノンケの友人らに「ちょっと怖い」という感情を抱いている。
ちょっと怖い。それってどういう感情なんでしょう。
主人公は、ノンケの友人らとの差異を繰り返し確認します。「速度」という表現を用いて。
僕の体は遅い。ノンケの友人たちは、僕とは絶対的に異なる速度を生きているかに思えた。安藤くんやリョウや篠原さんと同じく、Kもノンケなのであって、彼らは僕を無限の速度で引き離していく。安藤くんの眼差しのまっすぐさ。あれは速度なのだ。無限速度(p.113)
この速度が、まっすぐさが、「ちょっと怖い」に繋がるのではないか。そう考えると、なんとなく分かる気がします。<速さ>かあ。<速さ>ねえ。なんとなく分かるような、分からないような。なんなのだろう、これは。
もうちょっと考えてみます。
ノンケが速くてまっすぐなのに対して、主人公は、ゲイというものは、遅くてカーブしているのだと言います。
だが僕の眼差しはカーブする。それどころかカーブしすぎて引き返し、眼差しは僕自身へ戻ってきてしまう。僕の眼差しは釣り針のようにカーブして男たちを捕らえ、そして僕自身へ戻ってくる。
僕は、僕自身を見ている。
そしてこれは僕だけのことではないと思う。男を愛する男は多かれ少なかれそういうものじゃないかと思う。男を愛する男の眼差しはカーブし、その軌道で他の男を捕らえ、自分自身に戻ってくるのだ(p.113)
「僕は、僕自身を見ている」。つまり、眼差す主体であると同時に、客体でもある。そこにあるカーブ。一方で、ノンケは、ひたすら主体でしかない。客体になれない。そこにある純粋さ、無垢さ。それが「速さ」や「まっすぐさ」なのかもしれない。
眼差す主体(でしかない)存在への恐怖があると同時に、主人公はそれを欲望してもいます。どうしてもつい欲望してしまう。
荒々しい男たちに惹かれる。ノンケのあの雑さ。すべてをぶった切っていく速度の乱暴さ。それは確かに支配者の特徴だ。僕はそういう連中の手前に立っていて、いや、その手前で勃っていて、あの速度で抱かれたいのだ。批判されてしかるべき粗暴な男を愚かにも愛してしまう女のように(p.122)
速くてまっすぐなノンケ=眼差す主体は、ただそれだけで有害だと言うことはできませんが、それが純化されてマッチョに染まっていくと、それは「批判されてしかるべき」ものになっていく。
それでも、そのようなひとを欲望してしまう。うー、わかる。わかってしまう。
一方で、やっぱりふとした拍子に、その「雑さ」「乱暴さ」にうんざりしてしまうこと、あります。「あー、出た出た」って。
閑話休題。その欲望は、「セックスしたい」という欲望だけではありません。そう、カーブする。カーブして、「自分自身に戻ってくる」。つまり、その欲望する相手のような存在になりたい、と欲望してしまうのです。
僕は女性になることをすでに遂げている気がする。物理的にメスになるのではなく、潜在的なプロセスとしての女性になること。僕の場合、潜在的に女性になっていて、動物的男性に愛されたいのだが、だがまた、僕自身がその動物的男性のようになりたい、という欲望がある……(p.122)
「動物になること」「女性になること」という哲学の議論を受けて、主人公は自分を省みます。ぼくはこれらの議論についてよく知らないのですが、とにかく2つのベクトルが(少なくとも2つは)あって、主人公はその両方の矢印を持っている。
僕はぐるぐると謎の周りを回り続けていた。[…]僕の円環にも二つの方向があった。動物あるいは男性になる方向と、女性になる方向だ。だが、その二方向が、紐で縛るように狭まっていき、僕は、ただ僕一人が立てるだけの狭さへと閉じ込められつつあった。僕は自分を軸にしてただ独楽のように自転しているみたいだった。だから書き進まない。錐で穴を空けるみたいにその場で回転していて、言葉の線ができない。だが、締め切りの冬は確実にやってくる(p.129)
2つの矢印が足場を狭めていき、身動きが取れなくなっている。締め切り(デッドライン)を前にして、その場で自転することしかできない。
眼差し、眼差され、そして眼差す主体を(恐怖しつつも)欲望し、その主体になりたいと欲望もする。カーブを繰り返し、ぐるぐると回っていく。
「男性」と「女性」、「人間」と「動物」、「支配」と「被支配」。狭まっていく足場に立ち、ただぐるぐると回っていく。
円環は、この小説で何度も出てくる構造です。起点が終点になり、起点に回帰する。その円環を切り裂く<時間>という現実。途切れた円環は、また別の円環へと変化していくのでしょう。
繰り返しになりますが、円環から外れた主人公がこれからどう生きていくのか(次はどんな円環に入っていくのか)、気になります。
ぼくも普段、ノンケのひとたちと付き合いながら生活を送っています。ノンケのひと、多いんですよね。あちこちに分布している。
そんで、<速さ>がある。まっすぐで、純粋で、無垢な感じがする。そこに引け目を感じてしまったりさえする。遅くて、カーブしていて、不純で小賢しいぼくと比較してしまって。
でも、こうやってつらつらと考えてみると、そこに引け目を感じてしまう必要はないというか、「遅くて、カーブしていて、不純で小賢しいぼく」にプライドを持ってもいいのではないかと思いました。むしろ対置させてやる、くらいの意気込みで。
それができたらすごいと思う。それこそプライドだと思う。「クィアでなにが悪い?」と言葉の再領有をしてきた先人たちに習っていきたい。
引用していくうちにどんどん考えが拡散していってしまいました。
ぼくが特に共感したのは、ノンケとの<距離>や<速さ>の部分。2つの矢印に挟まれてぐるぐる回る部分はまだしっくり来ていないけれど、この文章を書きながら考えてみて、言いたいことはなんとなく分かりました。
「動物になること」「女性になること」あたりの議論を読んでみたほうがいいかもしれない。千葉雅也の哲学について、ちょっと勉強してみたいという気持ちです。友達を誘って読書会やってみようかしら。
*1:著者の千葉雅也は、「アライ」への疑念を表明しているのを読んだことがあります。
おさむです。
ウェアラブル端末――腕とか頭とかに身に着ける端末。要するにスマートウォッチやスマートグラスなど――を導入してみました。Xiaomiという企業が出している「Mi band 4」です。
きっかけは、Twitterのフォロワーさんが購入しているのを見て、「なんか良さそう」と思ったから。年始の記事にも書いた通り、今年は「経験のためにお金を使おう」を目標にしています。Apple watchと比べるとずっと安いし、試しに買ってみよう!と思って購入。
レビューというほどではありませんが、1ヶ月ほど着けて過ごしてみた感想を書いてみます。
まずこのウェアラブル端末でできることとしては、主に次のとおりです。
そのほかにも、タイマーやストップウォッチなどの機能も備わっています。
ただ、機能はいろいろあるのですが、使っていくうちにだんだんと使い方の幅が狭まっていきました。
例えば「ワークアウト(運動量の計測)」については、たまにウォーキングなどするときには便利です。運動の継続時間や距離、消費カロリーなどが可視化されて嬉しいです。モチベーションに繋がります。
ただ、ぼくが日常的にやる主な運動=ボクササイズのときには、グローブがウェアラブル端末に干渉してしまって、勝手に計測を止めてしまいます。なのでこの機能を使うのをやめました。ボクシングとは食い合わせが悪いようです。
あとは、「スマホで再生している音楽の操作」の機能もあるのですが、ちょっとラグがあるので、結局スマホを開いて操作しちゃうほうが楽です。これも使っていません。
意外といちばん使っているのは、時間の確認です。
スマホをいちいち取り出さなくても時間を確認できるのって、意外と便利なんだなあって気づきました。例えば、ズボンの右のポケットにスマホを入れていたとして、右手が塞がっていたら、スマホを取り出すのにいくらか手間がかかります。でも、ウェアラブル端末を着けていれば、左手を目の前まで持ってくるだけで時間を確認できる。冗談だと思われるかもしれませんが、これがすごく便利。
あとは、LINEの通知を見れるのも便利です。授業中にもサラッと確認できる(返信はできない)。この機能は2番目くらいによく使っています。便利。
その他にも、「今日って気温どうなんだっけ」とふと思い立って確認したり、歩数を確認して1日8,000歩以上は歩くように意識してみたり、あとは睡眠の調子をチェックしたりもしています。
このように、専用のアプリからチェックできます。ほかのひとのグラフと見比べて、「ぼくって眠りが浅いんだなあ」などと問題意識を持って、睡眠環境の改善を試みてみたりしています。
心拍数もとってるから、なかなか正確に計測してくれているようです。上の画像のオレンジ(覚醒中)のところは、なかなか寝付けなくて、千葉雅也の『デッドライン』を読んでいました(笑)。
総合的に見ると、「なくても困らないけれど、あったらあったで便利なもの」という感想です。
スマートウォッチやスマートバンドはほかにもたくさん発売されていますが、この価格帯で、充電の持ちがすこぶる良い(3週間くらいは持つ)のは「Mi band 4」のメリットだと思います。
ひとにオススメしたいとまでは思わないけれど、「ウェアラブル端末ってどうなんだろう。気になる。体験してみたい」というひとにはオススメです。こういうのって一度体験してみないと分からないことってあるし、新しい技術や端末に触れてみるのって楽しいですよね。
おさむです。
少年期の長い不登校・引きこもり生活の影響なのか、それともぼくの性分みたいなものなのかよくわかりませんが、生活リズムがぐっちゃぐちゃです。マジで。
ある日は朝5時頃に起きて、朝から家事だー!勉強だー!と活発に動いていたかと思いきや、その翌日は昼前まで寝てしまったり。遅く起きると、「ああ、もう今日はダメだ…」みたいな落ち込みが入って、ダラダラ過ごしてしまって、ホントにダメになってしまったり。
最近はあんまり落ち込まないようにしているのですが、それでもやっぱり生活リズムを整えたい。整えて、気分よく1日を過ごし続けたい。365日毎日続けるのは無理でも、3分の2くらいは生活リズム整っていたい。
これまた不登校だった頃の名残りだと思うのですが、朝7~8時くらいの時間帯ってホントに苦手です。その時間帯に起きると、まず二度寝してしまいます。たぶんこれは、「みんなが登校しているのに、自分は家に篭もっている」って思って自己嫌悪に陥っていた頃を思い出してしまうから。
だから、ひとより早めに=朝5時くらいに起きるようにしています。そうすると、自分のペースで1日を始められる気がする。コーヒー淹れて、パソコン点けて、静かな早朝の時間を楽しむ。
毎日朝5時に起きられたらどんなにいいだろうかと思うのですが、なかなかできません。冒頭に書いたように、起床時間がバラバラすぎて、生活に規則性がなさすぎる。
なにが原因だろうかと考えてきたのですが、やっぱり睡眠かなーと。眠りが深くなかったり、それで夜中に何度も起きてしまったり、朝起きたときに疲れが取れていなかったり。そのせいで、朝の起床がつらくなってしまっている可能性があるんじゃないだろうか。
よし、それなら睡眠を改善しよう、と思い立っていろいろやってみました。
例えば、こんなことをやってみました。
上3つが主に睡眠の質を上げるためのもので、下2つは朝起きやすいようにするためのものです。
ベッドはなかなかの出費だったのですが、買ってよかったと思っています。マットレス・オンリーで寝ていたときは、朝起きると背中がバッキバキになっていました。ミニマリストに憧れてマットレスで寝ていたのですが、確実にぼくの身体には合ってなかった。
あとは、Web系の勉強を始めてから、座りっぱなし・PCに向かいっぱなしの時間が増えたせいで、身体が凝りがちです(同じ理由で痔が再発もしました)。やっぱり朝起きると身体がバッキバキになるので、寝る前にストレッチをするようにしています。
今年も昨年完成させた僕のパーフェクトルーティンを継続していこうと思ってます。今のところ、修正点見つからず。こんな日課は人生初。みなさんも日課の質をあげると大変なことになるからぜひー。おすすめです。金かからんし。 pic.twitter.com/pKpdg8LeLW
— 坂口恭平 (@zhtsss) 2020年1月2日
「試行錯誤のない人生なんて生きるに値しない」みたいなことを誰かが言っていたように思いますが、これからも試行錯誤を続けて、より良い生活リズムを獲得したいと思います。
ある程度生活リズムが整ってきたら、「パーフェクトルーティン」公開したいと思います!!
おさむです。
去年から職業訓練校に通っています。半年間の職業訓練もとうとう残り半分というところまできました。あっという間です。
そんな3ヶ月目は、新しいことに次々と挑戦しました。まとめておきます。
まずは見る目を養おうと、職業訓練が始まって間もない頃から、とにかくたくさんのWebサイトを見るようにしました。どんなデザインが流行っているのか、どういうレイアウトだと見やすいかなど意識しながら見ていって、良いものがあればブックマークしていきました。
森山直太朗のオフィシャルサイトとか、洒落ていて好きです。
プログラミングの学習サービス「Progate」の有料会員になって、HTML・CSSやJavaScript、jQueryなどを勉強しました(1ヶ月間やって、レベルは130くらいまで上がりました)。
JavaScriptやjQueryは、学校の授業だけでは理解しきれなかったので、有料会員になって予習しておいてホントに良かったです。
ただ、内容がすごく入門的なので、今後はまた別のサービスを使ったりする必要があるかも。
先述した通り、jQueryに着手しました。JavaScriptのライブラリ…ということらしいです。記述はJavaScriptより短くて済むし、Githubからデータを拝借することで、スライドショーやライトボックスなどを実装できる、とても便利なものです。
便利なのはいいんですが、ただ、HTML・CSS、JavaScript、jQuery…と、言語の種類が増えてくるにつれて、覚えることが多すぎて頭が追いつきません。マジで大変。
とうとうWebサイトをレスポンシブ対応させるようになりました。スマホからでも見やすいように、PCでの表示とスマホでの表示とでレイアウトを変えるのがレスポンシブ対応です。
これは純粋に楽しい。そんなに覚えることはないし、いつもスマホで見ているサイトみたいなレイアウトにできるのが嬉しいです。
某所で行われた、エンジニアを目指すひとのための転職イベントに参加してきました。会社のひとの話を聞いたり質問したりして、業界の情報を得られました。学校の先生からも業界情報は得られるのですが、今回、いろんな会社のひとと話をすることで、「リアルな感触」をともなって情報を得られたように思います。
イベントにばっかり参加して、肝心の技術や知識が身につかなったり、ポートフォリオができなかったりするのは問題ですが、定期的にこういうイベントに参加するのはいいなあと思いました。
また、所感として、Web制作の仕事ってぜんぜん少ないんだな~、いまやってることってあんまり仕事にならないのかな~、と思いました。あと、Javaという言語を勉強する必要性を強く感じました。ただ、卒業するまではそれをやる余裕なさそうなんですけれど。
ポートフォリオに載せるためのバナーも作らなきゃ…とずっと考えていたのですが、ようやく重い腰を上げて、着手しました。ひとまずは既存のバナーのトレースをやっています。そのあと、オリジナルも作っていこうかなあと思っています。
それなりに時間がかかる作業なんですが、実際に制作することで、イラレやフォトショの技術も身につくし、いい練習だなあと思います。
オリジナル作れたら、ここに掲載してみたいです。
もうあと残り半分か~、と思うと感慨深いです。いろんなことを勉強したけれど、まだまだ身に着けなければいけないことがたくさんあるようにも思います。
でも、すべてを訓練期間中に身につける必要はない(仕事を始めてからまた勉強してもいい)はずです。
とりあえず、訓練期間中にできることは精一杯やりたいと思います。